なかなか「勉強が好きだ」と気づきにくい環境ってあるよな。と最近ふと思った。
学校で勉強していればガリ勉野郎と言われたり、こうやって書いている大人になった今だって意識高い系と言われるのは嫌だなと思ったりすることはよくある。
他人の目が気になる。それに尽きる。
仕事に関わる本や、例えば質問するのは苦手だからとそれをカバーできるような本を読もうとかそういう足りない部分を見つけて補おうとすることだって
「本なんか読んじゃって」
なんて思われていないか気になる。そういう話につきる。
しかし、こういった環境はいつからあるんだろうか。
よくある「テスト勉強を全然していない、でも実はしてました」なんてのもそう。
じゃあ、勉強するのダサいみたいな風潮にまかせて勉強から自ら遠ざかるのか。
まぁ遠ざかるよな。自分はたまたまお酒も飲めないし旅行も運動も興味が無いしうまいものが食べたいとかそういうのもほとんどないからそういったものを「みんながやってるからやろうかな」なんて思わなくてそっちには流れなかったけど「勉強が好きかもしれない」って気づくまではネット見たり買い物に出かけたりとかそんなことばっかりしてた。もちろんそれらについても知識が積み重なったり上達の喜びがあるのは知ってる。
でも、それとは違うお勉強的なもので学ぶことが楽しいとか好きだとかっていつ気づくんだろうか、それで良いんだっていつ自分を認められるのかっていうのはとても気になる。
俺は絵の練習をしているときに「ああ、これは絵の本を読まないとダメだな」と初心者向けの本を読んで、大変だけど面白いなと続けてその後にまた本を買って……ってときになんとなく気づいてその後にお金に関わる本を読んだときに「なんとなく難しいと思っていた本を読めた」という感覚が面白くてまた何冊か買って……ってやってるときに「あ、俺勉強好きだわ」って気づいて好きならもっと続くかと思いながら最近も本を読んでいる。
最初の方にも書いたけどこうやって書いていても「スポーツだって勉強ですよ」とか「お酒だって食べ物だって極めるためには勉強が必要ですよ」なんて声が聞こえてくる。そんなことは重々承知だ。それなら服だって靴だって勉強だし、こうやって文章を書くことだって勉強だ。でも、そういうことじゃない。
人生のいつ、どこで「勉強するのがダサい」みたいな話はなくなるのだろう。
なんて周りのせいにしたりいちいち考えるよりも「自分はこれでいいんだ」って信じられるようになる方が良いですよね。好きだったり楽しいって思えるならやってるとそうなれる。良いですよね。勉強。仕事が早くなったりすると働き方に余裕が出ますし。
あ、でも本で勉強するのが一番!みたいなのは違うと思ってるのでその辺のバランス感は個々でとってるんだろうなとも思います。
自信がついたりするので筋トレ的な側面はあるかもしれないですね。