Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

引っ越しという名のエクソダス。そしてそこで得たものは。

とうとう今住んでいる部屋から引っ越すことになった。

 

この部屋は、狭いし、自分は物が多いからもっと狭いし、でも駅から近いし風呂トイレ別だし、まぁいい物件だったと思う。

もう8年くらい住んだわけだけど、一人暮らしは精神を病むととてもしんどい。

たまたま、Twitterをやっていたおかげでそういうしんどさはうまく紛れることが多かったけど、ひどいときはこの部屋が牢獄に見えた。最近はそんな見えないけど。

 

先の見えない人生、光の差さないキャリア設計。

 

こんなものに囲まれると本当にどうしようもなくなるし、僕は酒も飯も興味がないし、そんな思いをしていたときは旅なんてできるような賃金で暮らしていなかったから、そんなこともできない。それに、酒も飯も一時的な「しあわせ」だし、根本的な解決にはならないし、旅に出たって仮出所みたいなものだ。

 

そこから転職して、そのときはもう会社なんてものに騙されてはいけない、働くことがえらいことでもない、苦労をしたり我慢をすることや、そういう立場にいる自分を周りや世界が変えてくれたり、見つけてくれて救ってくれることなんておそらく無いだろうって思って働いてみて、どうやらそれは本当みたいですぐにそこを辞めて、いろいろあって今の会社に来るまでに、好きなことを一生懸命お金と時間をかけて、そして人に協力してもらって続けてみると

 

「やっぱり好きなことをやることは良いもんだ」

 

と気づいたりして、ちゃんと自分が好きなことをやるようにしてみると、牢獄は研究室になって、それで今の会社でしっかり働こうと思ったら、今度はその経験が仕事一つ一つに「これはイケる」「これはダメ」なんてのがわかったりして随分と変わった。

その研究室は、資料で溢れかえり、研究を発表するようになった。今度は足りないことが見えてきて、そうすると不思議なもので「これはイケる」という考えが、苦手だなと思っていた分野にもジワーッと染み出て広がってきたようで、やってみると、今はそれが楽しいことになった。

 

その感情って、すごい不思議で、僕はそれを認識するまでは「長所を伸ばし続けるべき」という強い意志があったから「できることが更にできるようになる喜び」しか見ていなかったんだけど、「できないことができるようになる喜び」として、苦手なことが上達していく様子を楽しめるようになった。

 

それは具体的に言ってしまえば「絵」の話で、それに関しては絵が描ければ、

 

・ライター

・エディター

 ・イラストレータ

 

が揃うわけでこれで、本を作るための要素が全て揃うことを意味していた。

イラストレーターとしての自分、というのを生み出せれば自分の持っているものが更に大きな成果を生むのはわかっていたけど苦手で、嫌だったのに。

 

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ただ、こうして絵が描けるようになると少し飽きてきて、立体物に興味が湧く。

ここで「できないかもしれない」という不安と「できないことができるようになる喜び」は戦うことになる。

 

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結局、後者が勝って、失敗して同じキットを何回も作ったりしてある程度できるようになって、なんて続けていたらプラモデルはしっかりと趣味になってしまった。

「引っ越す」って言ってるのに、梱包されたダンボールには引越し先で作るプラモデルがもう入っている。それだけ、好きになったということだ。

 

僕は、こういうところがすごいラッキーだなと自分でも思うんだけど、最初の方に書いた、お酒とか食べ物とか、旅行とかに興味がなかったせいでどれも、団子が串に刺さるようにわかりやすく繋がることにハマっていた。

あとは転職の過程で自分と社会を客観的に見る癖がついてしまったので、そういう意味では文章がフラットになったのも良いなと思う。

好きなことは何でも、色々なことを考えながらやっていてそれぞれがつながっていることもよく分かる。

 

苦手なことは、それが本当にやりたいなら、何度でもやれば良いことは絵で知ったし、難しい本を読むことも、一度に完璧クリアではなくて何度も何度もダンジョンにチャレンジするように続ける読み方も有りだってことも知ったし。

 

だから、この部屋で最後にハマったプラモデルという趣味は

 

・失敗したら買い直す

・いきなり完璧な完成を目指さない

 

というコンセプトのもと続けられたという点では、この部屋で得たことの集大成の一つだと思う。

そして、今は引っ越しと文フリの印刷会社への、自分が設定した締切が見事に重なっていてすごい大変なんだけど、でも出店の告知をTwitterですると何度も会っている人が拡散してくれたり、具体的に褒めてくれたりして、結局、最初の「Twitterやっててよかった」ということに戻っている。というわけで、モチベーションがしっかり上がっている。

 

 

 

 

もう、日曜日には引っ越すし、土曜日には本当に大事なものは自分で運びたいから少しは動かないといけないから、大変な時期に差し掛かっているけど、とりあえず俺は、今週末にこの牢獄だと思った部屋から無事に出ることができる。しかも牢獄を、研究所に作り上げて成果を出して、出ていく。こんなに嬉しいことがあるだろうか。

 

来週は、新しい家からの更新です。

 

多分、広くなるからおしゃれブログに変わったりするかも。なんて。

 

CITIZENの100周年記念モデルは今買わないと、同じレベルのは来世まで買えない。

100周年てすごいですよね。100周年。

今年はBrooks Brothersが200周年、タミヤのミリタリーミニチュアが50周年と、どういうわけか興味があるもののアニバーサリーイヤーが続きます。

 

そんな中でCITIZENが100周年記念モデルを出しています。

 

citizen.jp

 

第1弾があんまりピンとこなくて、第2弾は夏に発表されまして、そこでアレがこうだとかコレがああだとかずっと考えていました。まず目を引いたのはツノクロノ。

私はそこまで時計は詳しくないですがその異形の造形に感心して調べて「ああ、ツノクロノね」と理解して存在をはっきりと頭の中に刻み込みました。あとはまぁ、色々あって画面で見る限りコレが良いな、コレは少し派手だなとか一人で見分けていたわけです。

そんなことをしていた夏もあっという間に過ぎて9月は忙しさに見事に襲われ気づいたら10月で、販売開始。友人が「ツノクロノ」というワードをTweetしていたので思い出して、自分の中で検討をはじめましたが、最終的にはクラシッククロノグラフの限定モデルを購入。

 

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これは通常のコレクションの色違いといってもあんまり差し支えのないモデル。
ただ、買うかどうか悩んで、いても立ってもいられずGINZA SIXのCITIZENのフラッグシップショップで見にいったら先の友人が言うとおりで「メッキの雰囲気が良い」とは思いました。もっとギラギラしてるというか、そういうものをイメージしていましたが割とシックでそれなりに存在感もあるというか。

 

この辺の感覚ってどう説明したら良いのかわからないですけど「思っていたより良い」というのは単純に購入の後押しになることが自分の中では多いです。そしてこの時計はそれにあたるというわけ。「あー、思っていたより良かったなぁ」なんて思いながら帰宅して次の日に再度訪れ購入。最後までツノクロノも選択肢に入ってたけど、結局こっち。

 

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つけたときの雰囲気が「思ったより」小さく見えて、それが良かったなぁという感じです。僕は腕が細いのが理由で今ではレディースサイズと言われても仕方がないくらいの大きさのアンティークウォッチをすることが多いのですが、この大きさは収まり良かったですね。ケース径40mmの黒いやつ。あと、やっぱり、この黒の雰囲気が本当に良い。

 

ところで今回の記念モデルですが、夜明けをイメージした黒と金だそうです。
これはたしかにそういうコンセプトだと受け取ることもできますが、以前青山スパイラルで行った「Light is Time」って展示をそのまま凝縮したような色使いだなとも思います。

 

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あの黒い空間に無数に吊るされた時計の細かな部品がキラキラ光る様子は非常に危うく、繊細な展示でした。今思えばその空間にやられて自分はCITIZENに好感を持つようになったんだろうなと思います。

 

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あ、あとその好感のついでの贔屓になりますが日本の時計メーカーって安いモデルから高いモデルまで本当に手広くやります。もちろん名前は変えたりはしていますけど、何千円から何十万円までやってる。それが今回はプラスに働いているような気がしますね。

 

「100周年記念モデルっていうからさぞ高いんだろうな」

 

なんて最初は思ったんですけど、自分でも買えちゃうくらいの価格のものがラインナップされていて、それが素直に欲しいなって思えるくらいのものだったりするので。
私のは4万円+税。ツノクロノでも10万円。10万円ぽんと出せるような身分ではないですが、4万円なら出せなくもない。そんな価格的な葛藤も有りましたが、それはそれで何にしたってべらぼうに高い記念モデルを限られた人にだけという形じゃないのが嬉しいことだなと。

 

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100周年の後は10年毎に刻んでいくのかな。なんて思いますがそれにしても150周年とかそういう大きな区切りだって50年後。100周年に匹敵する200周年なんて確実に死んでますよね。今年もあと僅かですが、ほしい方は今のうちに。

 

私はツノクロノも欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

仕事と革靴

生活と革靴という本を出して、生活と革靴ってバカ正直で良いタイトルだな、なんて思ってたんだけど最近ふと「仕事と革靴ってのもあるよな」となぜか仕事と生活を反対の関係にして考えることがあった。

 

僕は私服で仕事をしてるんだけど、それでも革靴を履いてて、これはまぁそういう本を出しているだけあるので「生活と革靴」という感じがする。

反対の「仕事と革靴」で考えるとどうだろうか。なんて思ってたらふといつだったか仕事にメジャーで欲しいものがあって「あーこれ買えば仕事楽になるんだけどな」と悩んで、結局買わなかったことを思い出した。

割と仕事に必要なものはバンバン自分で買っちゃうタイプなんだけどそれでも、そのメジャーに関しては結局今も買わないままで、それをどういうことなのかと考えると

 

「このメジャーはどう考えても自分の生活には結びつかないもので、そのせいでなんとも金を出す気持ちになれない」

 

という小さいけどはっきりとしたラインが有ることに当時は気づいてそのまま「じゃあ買わなくていいか」と思ったんだけど。「仕事と革靴」というフレーズの負の部分は間違いなくコレなんだろう。

 

着たくもないスーツ、履きたくもない革靴。そんなものに金をかけるのは嫌だ。

 

そんな感覚は僕がメジャーを買うことを渋ったようにあると思う。

まぁ、そんなこんなで何が言いたいかっていうと革靴を履くのは確かに楽しいし、急に大人になった気がしたり、いつかどこかで描いた何かに近づいた気はするかもしれないけど、そこで得た気分が目の前にレンズとして急に現れて、そのレンズ越しから「みんながそうなれば良い」とか「そうでないことは残念なのか」というとそうでもないよな。ということです。

 

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ドーバーって軍パンに合うよね。