靴
これに尽きる。
今まで足が小さい自分に合う靴がある…ということを知らなかった。
Church'sを買ったのが全てのきっかけであったのは言うまでもない。
サイズが合い、足にストレスの無い物があるのかという衝撃はあっという間に僕を虜にした。
そして幸福にも私は靴をよく知る人たちと知り合えることができた。
イタリアの靴、アメリカの靴、イギリスの靴…と国別に分けるのは野暮なことでもあるのだが、各々をこよなく愛しよく知る人々との出会いはきっかけを大きな成果へと花開かせることとなったのは最早必然である。
「好き嫌いをしてはいけない。とにかく色んな国の物を履け」
多くの人が言うそれは全くその通りであった。フランスのそれを始めまだ未体験な物は沢山あるが国という枠組みで考えるとどの国の物でも合うものがあった。
そしてそれらは私の服装に少なからず良い影響を及ぼした。
どうにも惰性に近いような感覚を「普段着」とどこかの誰かと肩を寄せ合うようにしてごまかしていた服は、靴という新たな、というかそもそも抜けていたピースを埋めることでもう一度動き出したように思える。
イタリアの靴は時に自分を刺激的に、優雅にしてくれるし、イギリスの靴はいつまでも変わらないまなざしを僕にくれている気がする。アメリカの靴は履き心地の工夫にとても意欲的だ。
恐らく来年も私は靴を買い続けるだろう、既に二足オーダーをしているというのに。
その中に、また新たな服の幸せが眠っていることを確信しているかの様に。
「一生かかっても堀り切れないくらいの宝の山が見えないかい?」
やはり、服の幸せは限り無いのである。
この中で何足が旅立ち、何足ここに来るのだろう。