靴好きが新春の初売りにいかないわけが無い。
かくいう私もそれに足を運び、いつもより多くの靴が並び、普段は並ぶことのない靴箱を目にしながら多くのそれを鮫が泳ぐように見て回った。
しかし、結局、というか買わなかった。
理由は狙っていた靴のいくつかが思ったよりも高い値段だったということに尽きるのだが、いかんせん革靴というのは高い。セールになってなんとか買える。そんな物も多い。
そして初めて靴を買った日を思い出した。
どの靴でも良いから良い靴が欲しい
というのは今思えばとても幸運だったと思う。なぜなら靴は欲しいからといっても履けないものがあるからだ。木型が合わない――。というケースが間々ある。
木型が合わない靴を無理矢理履こうとすると履けなくはないがそれは快適でないことが多い。ジャストだと痛い。その痛みを解決するために大きいサイズにすると今度は踵が抜けるなんて具合に「あっちを立てるとこっちが立たない」ということに陥りがちだ。
仮に「このブランドの靴がどうしても欲しい!」と思ったらその螺旋の最中に自分が最早何を求めていたのか(この場合だと快適な、かっこよく履きこなせる靴だろうか)忘れてうっかり買っていたように思う。
鮫の様な不確かな視界で横目にお店の人に熱心に質問を続けるお客さんを眺めた。
「コルクはどの程度沈みますか?」
「ここが当たるんですけど」
「皺は…踵は…」
と、とてもよく話しかけていた。
個人的には靴は最終的に履く人のジャッジに全てがゆだねられる物だと思っている。その中で熱心に質問をする彼はどこかジャッジを店員さんに委ねているような、そんな気がした。(高い買い物だから)絶対に失敗したくないーー。そんな感じだ。
しかし委ねられる側は大変だ。他人の足を完璧に理解することが難しいのはおろか、欲しいという物欲の壁をぶち壊す「それはお客様の判断でーー」というような、簡単にいえば
あなたの足に合うものをあなたのお金で買うのだから、あなたが決めないといけない。
という一言は言えないと思う。
実際の所、足に合わないから返品なんていうことはまかり通らないと思うのだけど
自分の選択や発言に責任を持つ、どっかで社会や歴史のせいにしない
なんていうカッコいい突き抜けた良さや「これは自信を持って買える」と思いながら物を買うような物と人が釣り合っているようなそれとは違う何かを見た気がした。