先日、縁があってジャケットを三着入手した。
懇意にしている方が選んでくれるというのでこれに乗らない手は無いと勢いで買ったものだ。
こういったクラシックなジャケットというのを初めて入手したのだが、未だに右下のグレンチェックの物以外は怖くて袖を通していない。
怖い、というのはどういうことなのかというのを自分の中でなんとか噛み砕こうとしたが、どうやらそれは「上等すぎて怖い」ということであり、さらに言えば「あまりにも大人っぽすぎて怖い」ということでもあった。そしてどちらにも言えるのが分からないものを手に入れたと感じていることだろう。
しかし、スーツのスの字も知らない私が少なくともある程度のルールに則っものを手に入れることが出来たというのはとても幸せだ。そして「出会い」の大切さを感じる。
何でもそうなのだがある道に足を踏み入れるときにガイドがいるとそれはとても明るく、無理のないものになると私は良く思う。
いくら自分で地図を入手して、その道の情報を仕入れていても実際に歩いたこと無い道というのはとても不安だと思うからだ。さらに言えばガイドにだってこちらは不安を持つと思う。
「こいつは俺を騙そうとしていないか?」
なんて。実際にそういうことをするか、しているかどうかというのはそのガイドの頭の中をのぞいてみないと分からないのだがそういう役割を果たしてくれる人が日常で私と仲が良ければ自然とこういった不安は解消される。
現に今回は「あなたに選んでもらいたいです」と言った旨をガイドに伝え、各々のジャケットを試着しサイズを見てもらいそれぞれのバランスの違いが私の骨格にどう沿うのかというのを私が今の段階で理解できる程度のものを教えてくれた。
信頼できるガイドに出会い、新たに道を進む。
こういったことは今までしなくても良い程度のルールの無い服を来ていたので必要がなかったように感じるが、今回に関しては本当に良い経験になった。
右下のジャケット以外の二着を迷っているときに
「こういうのを若いのが着るのがいいんだよ!」
とオレンジのチェックのものや上等なウールのベージュのジャケットを勧めてくれた彼の強度を浴びた服は私に取っては今までに無い特別な一着になったと思うし、多少無理をしても3着買ったことすらも楽しく思える。
季節が春めいてくる中、次の秋冬まで袖を通すことが難しく思えるがどれも誇らしく着られるようになりたい。
やはり服の幸せは限り無いのである。