Re:11colors

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私服と靴

 私は私服でも革靴を履く。

 

一年のほとんどを革靴で過ごす。そのためゴミ捨てに行けたり、コンビニなどにも行けるような脱いだり履いたりするのが楽な靴も持っている。

 

革靴といえばスーツを着るとき、ひいてはジャケットを着るときなんてことがほとんどという人もいる。しかし一度革靴を私服の選択肢に入れることを覚えたり、それに味を占め私服でも履ける革靴を揃えたりすると「上は適当でも革靴を履いてるとなんとかなるな」なんて思ったりすることもある。

 

実際には靴以外の手を抜くと靴だけが浮いてしまうが、それに気づいてそれなりにきちっとした格好をするようになる。無意識上での微調整みたいなものが発生してると思う。パーカーを引っ張り出……いやシャツで行こう、程度の。ジーパンの色落ちにいつもと違った感想を覚える程度の。

 

そんな微妙なアジャストは洋服と付き合う上で日焼けした皮膚をピリピリと剥くような小さな変化の積み重ねな気がする。ある日ボロッボロのジーパンをなんとなく履かなくなる。それ以外のパンツやシャツのヤレ具合が気になる……今までと違う見え方が目の前に広がる。「なんかだらしなくないか??」なんて。

 

そんな服でも思い入れの深いものは捨てられず、タンスの中でもう来ることはない出番を待っている。その代わりに入ってくる新しいシャツやパンツ。パリッとしていて綺麗だ。「革靴」を履くのにふさわしい。本当か?

これが本当かどうかは実に難しい。革靴は実のところ、いろいろなデザインがあっていろいろな色や革を使ったものがある。なので何も清潔感がなければいけないわけではない。ただそこには往々にして「靴に負ける」ことがあるくらいだ。靴に負けるのは服がくたびれているからではない。服と靴のバランスがあっていないからだ。そしてそのバランスがあっているかのジャッジの元が日々の微細な選択の積み重ねだ。パーカーがシャツになり、ジーパンが水色から青だったり、青から濃い青になる程度の。

 

ここで少しわかってきたつもりになるとまた悪い癖が出る。「なんだかんだで革靴は〇〇ですよね」ワードローブの一本化だ。これが実に良くない。私は以前自分が編集長を務め発行していたフリーペーパーにも書いたが、どんなことでも軸はきっと一つではないと思う。私はたまたま明確に自分の感性を二つに分けてしまえるような出来事を自らで起こしたせいで自分には二つあることが良くわかる。地元で過ごした中学生までと、もっと広い世界があるのではないか?と思って遠くへ行った高校時代以降の二つだ。なので自分はその二つの軸で楕円を描いていることを知っている。

 

「なんだかんだで革靴は黒や茶色だろう」

 

なんて自分が思っても”今の自分”は程度にしか思わない。いつかまたそうでなくなる。

 

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黄色の靴はジーパンを水色から青にすることに待ったをかける。

「いいじゃないか。この色が落ちきったジーパンも最高さ。履いてみなよ。忘れていた色が思い浮かぶぞ」

と積み重ねたものをぐらつかせる。

 

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赤い靴は自分が衝撃を受けた靴のことを思い出させる。「こんな靴があっただなんて!」と。