描けないのなら、描けるまで描こう。
なんて思えるのはある程度自信が付いてきた証だと思うが、そのまま闇雲に続けることを過信というのだろう。自分は過信していた。
まずは練習。大体良さそうな気がする。
これは日付が入っていないですね…。
ただ、この日は先日の練習の成果を見て高をくくっていたらドツボにはまり、寝る前にデッサンの55の秘訣に載っている
「画家になりきった気持ちで描いてみましょう」
というページを思い出して筆ペンで遊ぼうとしたら上手く描けたのでそのまま完成させた。消せない筆記用具での練習は自分が描けているところと、そうでないところがわかるのでそれが良いところだと、このとき感じた。
なので、この絵でいうと履き口のところがそれにあたる。「ここさえ良ければ悪くないのにな」と思いその日は寝たが、それが良くなかった。
本番に向けて描いたもの。3時間もかけたが後半30分位は何かがおかしいという気持ちでいっぱいだった。履き口は注意深く描けているがつま先が短い。
単なる構図のミスなのか?でも羽根が異様に短い。おかしい。何かがおかしい。
そう思いながら「まずはつま先の長さを意識して描こう」と思い、その日は寝た。
描けないなら、描けるまで描こうと。
また練習。このときはもう手がつけられない状態。視野も狭い。
履き口の問題は解決できているけども、じゃあつま先の長さは?羽根の大きさは?と苦戦しだす。解決の糸口が見えないままこの日はスケッチブックを破っては丸めてを繰り返して、寝た。
どうにも手がつけられなかったのでこれはタブレットの上に紙を敷いてなぞりだした。部屋が狭いから十分に靴を置いて描く空間が設けられないので写真を撮ってそれを見ながら描いているわけだが、それをやめたということだ。
「なぞらなくてもこういう感じで軽やかに描ければな」と思いながら寝た。
その後数日、仕事中でもなんで描けないのが暇さえあれば考えて自分の過信を疑い始める。
「これはこのままだとダメだ。靴が斜めに微妙に向いているのと、丈が絶妙な高さなのに短靴と同じ感覚で進めているみたいだ。まずは一度目を通している部分だけでもデッサンの55の秘訣を振り返ろう」
ここで自分は「短縮」の技法を意識して使えていない可能性を検討しだした。
そして、フェードアウト気味に読んでいた「中点」の項目や明るさに関する技法にも注目する必要があると感じ出した。
また、靴の向きが斜めになっていることと関係するんだけどつま先が左斜め下の線で描かれていることも怪しいと思い出した。この線は靴を真横から見る場合は靴のタンにつながるので斜めに羽根に吸収されるのは正しいが、こういった角度だと見えていない裏側の羽根につながるラインになるのでここに怪しい思い込みがあったことも気づいた。
そして昨日。いつも面白いなと思うのだが、うまくいくときは突然上手くいく。
しかも一番難しいと感じている局面で、だ。
短縮の技法であったり、短靴ともブーツともつかない微妙な丈は「思ったより小さく、何よりもそんなに見えず、薄い」という感覚、見慣れない図形になることへの安心はデッサンの55の秘訣の表紙にもなっている寝ている人物の絵を図として使っているページのおかげだ。
ラフな線で描いたなんともつかない絵から中点を定めて進めることで形は安定し、カカトの革が重なる部分と羽根の作り出す横長のダイヤマークのようなシェイプに注目すれば良いことを見つけられた。
「ここか?ここなのか?」
なんて。
トーンや明るさ、陰影のページも読んでいたので大体の形がとれたあとにスーッと国語の教科書の話が面白くて別の話も読んでしまうような感覚でチャレンジするとどういうわけか何かが見えてくる。
「あれ、これなんかうまくいきそうだからこのまま自分を放っておこう」
と。
この絵は練習のつもりで描いたし、私が文学フリマで出す本はボールペンの絵で構成されることが恒例なのだがこれはこれで載せても良い気がしている。
5月の文学フリマ東京の新作は「生活と靴」という新しいタイトルで出しますのでお楽しみに。進捗は、良くないですが。
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