ラッパーなんかはたまに楽曲やフリースタイルで「あの頃のアレにやられた」みたいな話をして自分のHIPHOPライフのルーツを語るんだけど、なんかそれがかっこよくて、いいなって思う。あの人たちは口では散々「オリジナル」というが、その傍らで、何に影響を受けたのかをしっかり語るので、まさにオリジンが示す「源流」ということを無意識にわかってる節がある。
俺のプラモが始まった日は正確には子供の頃の話になるけど、接着剤を使うスケールモデルライフが始まったきっかけは超音速備忘録だった。プラモデルがカッコいいというよりは、プラモデルを語る人がカッコいいなって思ったのだと、今も思う。
プラモデルはどうしたって今はモノファーストで、どうやって作ったか、いかに作り上げたかという話が多くて、俺は俺でどこの誰に刺さるのかわからない記事を自分のブログにひたすら書いてる。ただ、最初に書いた「タミヤのミリタリーミニチュアの完璧な段取りと踊ろう」は超音速備忘録への手紙だった。「俺を見つけてくれ!やばいぞ俺は!」と手紙を書くように書いたらどういうわけか届いて、そのまま今に至る。
あの頃は、というか今もだけどプラモデルシーンを盛り上げようと俺をグロウアップさせて、仲間の一員に入れてくれようと褒めてくれたり言及してくれて「これは、俺はいけるのではないか?」と思いそのまま書いてたら、nippperというウェブメディアにも寄稿するようになったし、スケールアヴィエーションという専門誌にも3回くらい載った。俺はここでようやく自分が長年固執し続けた「書くこと」で日の目を見ることになった。
プラモデルはまぁ、こんなことを言うのもあれだがあんまり綺麗な趣味ではない。手は汚れるし、ゴミも散らばる。ニオイもするし、まぁ、散々だ。しかも作ってるときがカッコいいわけでもないのでこれまた困る。俺もたまに「なんでこんなおっさんばっかり作ってるんだ?」と疑問になる。作ってるところを写真に撮られてもカッコ良くはないだろう。
ただ、俺はプラモデルを語る人がカッコ良かったのでプラモデルを始めた。プラモデルがカッコいい趣味なのか?と言われると「カッコいいかもしれない」と思う。
靴には靴修理という分野があるが、ユニオンワークスというお店が靴修理を一気にかっこいいモノに持ち上げた。ゴムや革の削りカスが舞い、手はコバインクや接着剤で汚れる。作業着だって汚くなる。それでも、それがかっこいいと思うようなことが、プラモデルでも起こる日が来るといいので、俺もかっこよくいたいと思う。
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