最後に買ったのは5年前だった。
という事実が、私の貧困さを物語っているような、あるいは他のものへと目が移り続け5年前よりも遠くへ行ってしまったようなそんな感覚に襲われた。
KATO’のジーンズと出会ったのは七年前。
「極上」と私的に評するジンバブエコットンの穿き心地と足がキレイに見える形に惚れて迷わず購入した。最初に買ったのは尾錠のついたモデル。その2年後に3Dデニムを買いさらに惚れ直した。色落ちを前面に押し出したものではないけども、その素材へのこだわりから見事な育ちを見せるのは明らかであった。
私には「ジーンズは育てるもの」という考えは随分と前に二本目を買った頃には失われていたと思う。洗わずタフに使うというそれよりも「長く穿く」というのを重視したいという考えなのか、それとも飽きたのか。この辺については他所で克明に語っているのでそちらに出会えれば是非、お読み頂きたいのだが早い話が
私にとってジーンズとは頻繁に洗い、それに応じたコントラストの無いヴィンテージのそれとは違う色落ちをする物なのだ。
という思いに尽きる。
その様に、一定の清潔が保たれたジーンズを穿くことが私には気持ちが良いのだ。
特に最近自分がこの「清潔」ということに対して、自分のことを汚いと思っているということに気づかされることが多い。
「白いシャツを着るのが苦手で私は冠婚葬祭用に一着しか持っていない」
という話を誰かにした事があるが、それは自分の汗などの汚れがキレイな白を汚してしまうことに辛さを感じるからなのではと思う。その清潔さを私が壊すのが怖いのだ。
私はジーンズは幸いにもそういった「汚す」という感情を過敏に持たない。
むしろ洗濯をすることで保たれる清潔さは色落ちの表情に現れるので却って気持ち良さすらある。
話は大分それたが、5年ぶりに買えた自分…というのが、楽しかった頃(そもそも二本目を買ったときは終わりの始まりのような時期であったが)に戻ってきたような感じがして、砂漠が水に満たされるような感じがしてとても嬉しい。