去年書いた靴の話、そこで二足目をお願いしそれが出来上がったので書こうと思う。
何度もトライし続けるとそれはもう物と私ではなく、作り手と私になっていく。
そんな印象を受けたのが二足目だ。
私は最近、目の届く範囲で「店員が嫌い」とはっきり表明する人がいることに少し衝撃を覚えたのだが(もちろん私も嫌いな店員はいるが良い店員は好きなのでこんな宣言はできない)、自分のために作られるものに関してはそんなことだと断念せざるを得ない、そんな属性のものだと思う。
一足目の履き心地はいつも合わない部分が合うという点で衝撃を受けたのだがそうなってくると二足目、三足目と「もっともっと」と突き詰めたくなる。
そして一足目の反省を胸にお願いをしようということに。
前回とは違いもとからキズが目立ちにくい革をチョイスした。
形も内羽根式と呼ばれる前回の物よりもフィッティングがシビアな形。
「どこがこうで、ここがこうだ」なんて話をしながらじゃあ今回はこうしましょうとPDCAサイクルのように進み、木型の修正も若干入る。
革の特性上前回は仮縫い後の調整でピターッと木型につきにくい部分があったが今回はそれを見越しての素材選択だったので今回はその辺は上手く行った。
この中でのやりとりをしているときに最初に書いた印象を覚えたのである。
結局私の悩みに対しての解決方法は向こうの方が持ってるし素材選択1つにしても思いがけないものがすっと出てくるのである。そうなってくるとこちらは如何に作り手に対して正確に、素直にお願いすることが最大限の努力ということになってくる。
物は存在するものの、ベースは人と人とのやりとり。
頭の中でぐるぐるぐるぐる考えているだけだとそれは形には反映されない。
ここまで来てようやく本当の意味で飛行機に乗りたどたどしいイタリア語でお願いをするというのはやはり「堪能」という意味ではいささか無理があったということに納得することができた。