世の中のものの大概がそうで、それを代行してくれるシステムやメディアがあるのでその辺に関してはわざわざ人間様がしてあげる必要も無くなってきているような気がしている方もいるかと思うが(私も買い物によってはスマートフォン経由でレビューなどを見ながら買う)、それでも人からの説明というものは熱量や自身が取り扱っているものへの愛情や誇りを感じることが出来るので楽しいなと思う。
「万力締めのような締め付け」
と評される靴を買った。
履き慣らしが必要な「実に厄介な」靴だ。履いていると痛い。しかも時間によって痛いところが変わる。最初なんてことが無いのにじわーっと痛みが発生し、それが転移する。
「万力締め」は端的にいってしまえばそうならないようにすれば良いのだけれど、そうなると今度は靴としての機能、フィッティングの面にケチがつく。調度良いバランスを見つけるのが難しく、まずこの段階でビジョンが見えないと後で痛すぎたり緩すぎたりする。
ここで人による説明が生きてくる。
どう痛いのか、それは履いていれば解消されるのか、そもそもその「解消される」ということが本当なのかどうか。「失敗を極力しないように」なんて考えると信頼関係ができていないと買えないように感じてくる。
そもそも履き慣らしが必要な靴のナンセンスさをなんとなく感じながらその靴をいつも見ていたが「硬いからへたれない」「最初から履きやすいとやっぱり形が崩れてくる」といった話を聞いてその堅牢さに少し興味が湧いたし、それは一理あることだったので聞き入れるに値する意見だった。何よりその説明や誇りが垣間見える姿勢にとても好感が持てたから私はその靴を買った。
「キツい、痛いなんて言いますけど結局どう履きたいかがしっかりしてればそんな想いはしなくても済むかもしれないし、そもそも受け入れられるでしょう??」
なんてぶれない姿勢と嘘をつかない態度に動かされ、改めて人を介して物を買う楽しみを感じることができ、満足のいくものになった。