Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

最近の私

文章をちまちまと色々なところに書いているせいか割とここに何を書こうかという点で悩むことが多く、要するに「ネタ切れ」に近い状態なのか?とも思うけどもよくよく自分に聞いてみるとそうではなく文章を書く筋肉が疲れているという様な形であることに気づく。

「それでも書くのよ!」と心の中で誰かが言っているような言っていないような状態でこうしてパソコンに向かって文章を書き連ねているのだけども、それにしても日々の積み重ねの大事さというのを実感することが多い日が続いてる。

 

文章にしたって、仕事にしたって、筋トレにしたって。

 

瞬間瞬間の積み重ねが一日を作り上げていてそれがさらに重なるから「日々の積み重ね」になるのだけどもその積み重ねってそもそもなんなんだろうねというのを今まで自分は軽視していた気がする。例えば「一駅歩いたから身体に良い」とか。

今までは割と本当にそう思っていたけどお金がなくてご飯をドンドン削っていったら気づかないうちに筋肉がすっかり衰えていて一日仕事をしているだけでふくらはぎが痛くなるという「ヤバい状態」になった。それでとりあえず対症療法的にふくらはぎの筋トレをしたら次の日は非常に調子がいい。

そのまま調子に乗って腕立て伏せやスクワットに手を伸ばしだしたのだがそうなると前にも書いたけどものを持ち上げる運動に於いての馬力の違いに驚いて楽しくなって未だに筋トレは続いている。

仕事は今までは感覚的に「これはこういうことかー」と何となく頭にインプットして次ぎにいかそうとしていたけどそれにしたって漠然としていたものだった。

そこで後輩に薦められた本を読んでそれを自分の頭の中で1回噛み砕いて実践。上手く行っていないことは後輩にどこがダメだったのか聞く。そんなことを延々と繰り返したらほんの数ヶ月で一気に伸びた。積み重なるものの質がどんどん良くなっていったのも感じたし、そこでも溢れてしまう「自分節」みたいなのが時折姿を見せて「これは○○さんしかできないアプローチっすね。この急成長はやばいっす」なんて言われたり、自分でも気づいているので「あー、どんな瞬間も自分は自分らしいものだな」とニヤリとしたりした。

文章に関しては今日はこんな感じで思いの丈をダラダラと連ねる文章しか書けていないから説得力がないので書かないし、具体的なものが提出できないから私と会ったときにその差を見たいって人がいたら見せるけどとにかくすげーんですよ今。

「客観性」という中途半端な個性を持った人間だと「ああ、私の個性が一般化されて失われてしまうわ」なんて思って投げ出す(「これじゃ私の文章じゃなくなっちゃう」なんて言う人いるけどそんな感じ。)、怖い先生みたいな存在にビシバシビシバシやられていたら最初はひどく平易なつまらない文章が出来上がってしまって、でもそんな文章が書ける自分が面白くて続けていたんだけど数を重ねると客観性が味方になってくれるというかどう使うかというのが見えてきた訳じゃないんだけど徐々に限られた文字数の中で自分と客観性が領土を主張し合うようになって。

で、今はどうかというと客観性と私のバランスが絶妙。根拠のあることが「客観性」だとしたら面白い根拠のあることを言えるかどうかというのが「私」。出す順番や抑揚を決めるのも私。そのバランスがすげー良いです。

 

たまにはこうして漠然と書き連ねるのも良いですね。

 

何にしたって書いてて思うのは「書く力」は自分の文章にどこまで配慮が聞くのかっていうある意味だと「読む力」だと思うんだけど、それは見たものや感じたことに対する「鑑賞力」なんかに出てきて、最終的にそれを表現する「語彙」が日々の生活で積み重なるかどうかってことなんだろうねって話。

 

俺なんかだともうとにもかくにも下書き無しで一発書きだと「という」が多いんだわ本当に。そんなことも気づけるのは自分の文章をしっかりと読んで判断できる客観性ってことなんだけどね。