PLAMAX MF-21 minimum factory みのり with ホンダ耕耘機F90 1/20スケール ABS&PS製 組み立て式プラスチックモデル
- 出版社/メーカー: Max Factory
- 発売日: 2018/05/25
- メディア: おもちゃ&ホビー
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買いました。まだ組んでいません。おもりを買い忘れたので。
私は紳士靴四十七話という本を作る過程で実物に触れずとも、その靴の造形上の狙いや見処を書くという謎のスキルを得ましたのでそれに汎用性があるのかを試してみます。
このキットは私がプラモデルを作っていて感じる限界を解消しています。
それは「人」の問題です。私はプラモデルを組み重ねることで模型と人の関係に注目するようになり、最終的にモノと人が生み出す関係性は「水素と酸素が組み合わさると水になるように、水素でも酸素でもない別のものになる」という、寄藤文平さんの著書の考え方に非常に近いものだと気づきました。
その後、私は一つの壁にぶつかります。ブログには書いていませんが、これだけキレイに色分けされたポルシェ934が出来上がったときに
「俺はこの、ポルシェに合う人形を持っていない。作るにしても色を塗った時点で質感の違いが発生するので、今度は車が人に合わなくなる」
という課題でした。
どんなにモノが綺麗にできても色を塗らない限り「人とモノ」のレベルが揃わないし、人の色が塗れるならモノも塗りましょうという話になってしまう。実際人が塗れるならモノも塗ると思います。
その点、「PLAMAX MF-21 minimum factory みのり with ホンダ耕耘機F90」はどうでしょうか。箱を開けてみるとわかりますが、人とモノはどちらもできる限り色分けされているので、均等に扱うことができるのです。これは私がタミヤのMMを買ったときに「良し!」と思うときと「んー」となるときの差に近いです。
色を塗らず仕上げることをゴールとする場合は人もモノも同色であるほうが、同じように扱うことができるし、その方がキレイに混ざり合ってて良いと思うからです(一方で、何にでも合うグレーの成型色は汎用性の高さと、人と物がはっきりと分かれる世界観も美しいのですが)。
また、このキットに関して言えば「なぜこうなったのか、わからない」という部分が実機でも多いためそこが興味関心を引きます。最初にこういった「組まずに感じ取ろう」と思わずとも感じたことは
「この耕耘機ツノゼミみたいだな」
ツノゼミ科 - Wikipedia(虫が苦手な方はスルーしてください)
という感想です。ツノゼミは「過剰進化」だと言われることがありますが、それに近い存在かと思いはしたものの、F90に関しては人が作ったものだから理由が分かるはずですし、当てはまらないと思っていたところが、調べてみるとわからない部分がある……ということで
「やっぱりツノゼミ的だなー」
なんて思ったものです。これ以上、進化について書くことは昔テレビで見た程度の認識で話をしているのがバレるのでやめます。
更にこのキットに関して掘り進めましょう。
・人とモノが色を塗らずとも、考えた人が限りなく全力を尽くし同等になるようにしている点
・実機にある不明点と特異なシェイプがツノゼミ的(少し補足すると、ツノゼミは「これホントに虫?」と思いますが、この耕耘機も「これってホントに?」という感想を抱きながら「何でこうなったの?」と続く点において、です。知っているものに見えないけど知っているものでしたという)
この2つが組み合わさると「たしかに人が使っていたものらしい、特異な形の何か」ということが鮮やかに浮かび上がります。しかもかなりの濃度で。分からないものが分かるようになる。けど分からないところは分からないままですが。
しかも、オーバーオールにアームカバーで麦わら帽子という服装が初めて見て耕耘機だとは分からなくても芝刈り機くらいには分かる程度にはアシストしています。これは服装の重要性だと思います。色が分けてあるのもデニム感を出すのに活かされていて
「農作業の機械を畑仕事に使おうとしているようだ」
と教えてくれます。
私達の描く、リアルではないかもしれない農作業が、二次元キャラクターに情景を生み出す役割を任せることでそれをよりハッキリと想像させてくれます。だって実際の農作業、こんな格好しないかもしれないじゃないですか。今だって昔だって。でも「こういう想像上の姿」は見たことある。田舎暮らしってこんな感じだよなーってやつに近い。
だから、これはこういうイラストをもとに立体化した方が却ってよいのではと思います(シリーズのコンセプトもありますけど)。
あとは、組んでからお話できればと思います。