昨日、なんとなくできる限りフィギュアに近づいて撮影してみたらどうだろうかと思い、撮影してみた。近づけて撮影してみると分かるのはカメラ自体が影になるので油断すると真っ暗な写真が撮れてしまうということだった。ただ、これはこれでドラマチックなので良いなと思い、気に入っている。
撮った画像を見たときに感じたのは「リアルだな」というようなことだとか「実在する人間のようだ」みたいな、模型に乗せられる願いや思いとは少し違っていて「柔らかだな」という印象だった。光と影の入り方もそんな感じ。
ぼんやりと柔らかく、キレイだった。
こうして見ていると、俺はプラスチックについて何も知らないような気がしてくる。ニッパーで切れる程度の柔らかさ。ハサミだと、ちょっと力がいる。果たしてこの素材が硬いのか、柔らかいのかを知らないし、質の上下についてもわからない。
例えば写真に撮ったタミヤのプラモデルと海外のそれとはプラの質感は明らかに違うのだけど、どっちが上等かはわからない。それに、どっちがプラモデルとして適しているかもわからない。革靴や洋服はなんとなく分かるし、身近な例で言えば貴金属なんかは、純度を持ってその価値を測られるわけだが、果たしてプラモデルにおけるプラスチックの良し悪しとは、何なのだろう。そして、日本人の私が「タミヤのほうが良い」と思っても、例えばフランス人は「エレールのほうが良い」とか言ったりするのだろうか。木材などは種類によって活躍の場面が適切に定義されているが。
そういえば以前、通販サイトのレビューで「成型色はグレーのほうがモールドがよく分かるので、このキットは少し残念です」みたいな評価を見たりもした。グレーのものも写真に撮ってみたりはしたのだけど、たしかにその通りで陰影がパキッとする。ただその一方でこの薄黄土色の成型色が生み出す質感のなんと面白いことであろうか。
どうせ、サーフェイサーなどでグレーに塗られてしまうのだから、その前はせめて何か、他の色であってほしいと、この兵士の写真を撮っていて思ったりもした。
近くによって撮って分かることは、その行為そのものが「本物に迫る」ということであるという面白さだ。無塗装のプラモデルはモチーフになったものからは遠いかもしれないが、プラモデルの名の通りの本物であった。よくわからない、よくできたものがそばにある感じは好きだ。手元においておきたいという理由で私の家には様々なものがある。
硬いんだか柔らかいんだか、上等なのかそうでもないのかわからない、プラモデル用のプラスチックを写真に撮って俺は今日も素材と戯れたな、と手づかみの感覚を覚えたのであった。
今週の物販