Re:11colors

毎週木曜更新(2021年1月現在)。革靴、模型、日常。

もうとっくに降りているかもしれなかったのに

スーツを着る仕事について暫く経つが、驚くべきスピードで私服に対する興味みたいなのが失われているのがわかる。

 

スーツも私服もファッションではあるが、私服でのファッションというのは私はとっくに降りてしまったように思えた。スーツの方はというと過去の貯金を使いまわしながらたまにシャツの枚数を増やす程度である。これはこれでファッションを降りているというような感じが否めず、やはり驚くべきスピードで服に興味が薄れているような感じがしたのであった。

 

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ファッションの面白さは着飾るということだろう。それでめちゃくちゃにテンションが上がるのだから服好きというのは元来的には素晴らしい気風の持ち主だと思う。ただし、他人との比較などいじけだすとどうしようもなくなってくるという点があり、その辺は他の趣味とも変わらないのだが、見た目に直結する上に衣食住という”ライフ”に巧妙に溶け込んだ趣味なので厄介だ。

 

「最近は洋服はライフスタイルと直結するようなものが良いよね。なんて思うんだ。自転車に乗ったり観葉植物を育てたり」

 

とそれっぽい「俺はもうファッションから上がったんだ」という口ぶりは未だ健在なのだろうか。

私は今、着飾るというパワーがない。コロナ禍の中、外に出る機会はめっきり減り、それに伴いパワーも失われたということだろう。これにはびっくりした。私服を着る機会が土日のみになり、その土日も外に出られないとなると私服はこうもいらなくなるのかと。そして、ほんの一年と少し前、私服で勤務していた頃のパワーとは比べ物にならないくらいダウンしている。

 

私の友人にはとびきりおしゃれな人が何人かいて、言葉の額面通りに「こだわる」人が多い。とてもかっこいいし、俺もこだわっていた。が、今はこだわれない。こだわるパワーが無い上に元来カジュアル志向なのでスーツの方にもそこまで力が割けないというのが現状だ。そこで、である。

 

過去に私は「服を楽しく着る人に焦点を当てたフリーペーパー」と題して幸服無限というファッションに関するフリーペーパーを大枚をはたきながら発行していた。それが私を助けてくれた。そのときに親しくなった友人の一人は誌面で「死ぬまでカッコつけていこうぜ!」と言う。傍らで別の友人が「ただ生きるための服」と題して自身の洋服について語る。そういったことを最近とても思い出す。そして私は今は「ただ生きるための服」を買っているっぽいなと自分の位置を定めることにした。

だって、いくらパワーが無いと言ってスーツを着ていても社内の中で「どう見たって俺が一番」なのだから。

 

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もうとっくに降りたと思っていたファッションだけど、贔屓にしているブランドの年明けのセールに行けば真剣な目つきで何を買おうかと検討する。贔屓のブランドを覆い隠そうと入手性と値段に対して悪くないリターンを提供するユニクロが私のワードローブを薙ぎ払おうとする。まだ、まだ大丈夫。俺はファッションを降りていない。

グレーのパーカーを試着した瞬間のふわっとした肌触りと計算されたシュッと締まる裾のリブが生み出すかっこよさに「これは良い」と素直に思える心をまだ持っている。アメカジ的な気楽さともリラックスしたユルさとも違うあの感じ。ちょっとピリッとしてて神経質なんだよ。ここの服はさ。なんて。

ホント最高だ。ありがとう。

 

俺は今、幸服無限に書いた彼女のようになろうとしている。そんな「カッコをつけること」と「生きるための服」の2点からなる楕円のある一点の時期にいるだけなのだ。

 

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