Re:11colors

毎週水曜更新(2021年9月現在)。革靴、模型、日常。

今日がお前の命日だ

 

今日は私の父親の命日だ。2012年の今日、肝臓がんで息を引き取ったが、私が生まれ物心がつく頃から高校生になる00年代の初頭まではずっと革靴を作っている人であった。

私はブラック企業で働いてしまい、大人になったのに結婚も、彼女も見せてやることができなかったのは親不孝だなと当時は思った。

 

革靴産業について少し調べてみるとわかることだが、量産品の革靴作りというのは分業制をとることが多く、我が家は製甲と呼ばれる作業を行う家であった。「靴を作っていた」という話をすると、ここ何年かの決して産業としては発展したとは言えないが上がっている靴界隈の熱量や漫画の影響もあって、工房を構えてイチから(いったい何が彼らから見たイチなのだろう)最後まで作るイメージを持たれるが、実際はそんなことはなく2階建ての家の一階の一角が仕事場で、黙々と製甲を行うといったもの。

この辺は逆に、靴作りに関わっている人の何人かと話すと「製甲屋さんね」といわれるので、消費者と生産者で見えている絵が違うなぁといつも思ったりしている。

 

00年代の半ばからはいよいよ生産拠点を外国に奪われることが本格化し仕事として継続することは難しくなったので父はさくら水産で働き出したが、それはそれでどういうわけか楽しそうに働くというか、不満1つ漏らさずやっていて、あとは家での仕事なので時間の使い方が割と自由(といっても全盛期は朝8時から夜中の11時まで毎日働いていたので、「仕事が休みだ」という概念を知るのはかなり遅かったが)なので私がやっていた少年野球の方の監督だとかコーチだとかをやって、その後は大会運営の方に手を広げていってデカい大会をいつの間にか作っていた(荒豊杯って知っています?)。

 

私は中学の頃に完璧に干されてしまい、野球をプレイすることに関心を失ったのだけど大人になってふと、父親が運営している大会を見に行ったら私が6年生くらいの頃のレベルの試合を4年生が繰り広げていたので、試合数が増えれば増えるほどチームが強くなり、地域が強くなるということをまざまざと目の当たりにしたのであった。

 

癌になった後は大会の引継ぎみたいなのを数人の若手と病院で行ったりもしたのだけど、めちゃくちゃ印象的だったのは最後の最後まで靴作ってたこと。テレビの前に丸台って切り株みたいな木を置いて仕事してるの。

 

あとは、亡くなったら作れる人がいないからってその靴は廃盤になったりとか、その数年後にそれを履いている人を見かけてびっくりしたのとか。それと、後で知ったのだけどいつだったか取引先のあれこれで型紙を渡すことになっちゃうんだけど「あれは型紙を見ただけじゃ作れない」って言ってた話とか。

 

面白いなって思うし、俺が人にあれこれ教えるの好きだったり、nippperの記事の作り方をたまに公開しているのって結構このエピソードの影響受けてる。

結局真髄は教えたことそのものには宿らなくて、そのあとに実践していく過程で獲得していくものなんだなっていう感じが頭の中に残っていて。だから実践して、気付いて、それが文章として上がっているのを見るのは楽しいなって思う。

 

今日は父の命日だ。特に意味のない話だし、なんだか無神経にシェアされそうな予感のする革靴の話もケアしながら書いた。

 

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まぁ、これは私の気持ちの問題でもあるが、どういうわけか革靴の話は無神経にシェアされる。理由はいくつかあると思っていて、その中には「SNSを通じて知識を共有してオシャレになっていこう」というまぁ、なんていうのかな、昔だと「ファッションクラスタ」なんて一家言ある人が争いではなくバトルをしあうみたいなのがあったんだけど、それと違って「知識共有層」の持つ「有益なものはシェアしよう」という、まさにSNS的な「ネットはみんなのもの」的なノリと革靴ってちょっと相性がいいのだと思う。

 

ただ、みんなのものであるということは同時に個々人のものであるし、このブログは私のものなので、一見みんなのものに見える私のものの筆頭のRENDOの記事なんかはとっくに非公開にしている。「これは良い!真似しよう!」って思うのは良いけど、言うのは違うというか。良いと思うなら自分で買って、記事にして書けばいい。そうして靴の面白さを自分の心に沁み込ませていくのか、ただ「コスパの佇まいの良いもの」として食い物にしてしまうのかはずいぶんと違うから。

 

そんな目に合うことが多くて疲れてしまい今は革靴の話はブログにはそんなに書かないし、書いてもそうされたらすぐ非公開にしている。じゃあ、お前は何のためにブログに書いているんだって言われたら、ブログが好きだから書いてるってだけで発信したくて書いてるわけではない部分もあったりするので、その辺は難しい。

 

例えばプラモデルの記事は、プラモデルという存在そのものがあまりにも語られていない空間が多いので、そこにピックを刺してガイドロープを渡すみたいな感覚でとにかく書かれていなそうなことは書いておく。しかも知ってもらって仲間が増えると嬉しいのでアクセス数が伸びると良い。

 

反対に革靴の話はそんなバコバコ、ネタ消費的に「この人のオーダーいいですよ!」みたいなのはうんざり。極論だが、俺のオーダーやエイジングのがかっこいいのは俺が持っている服の色だとかがあってのものなので。

 

まぁこうして書いてみるとネットの中で閉じたり開いたりっていうのはそもそも個々人の心意気次第なんだなってのが良くわかりますね。もちろん、属性の付いたサービスもありますが、ま、そんな感じで、父の命日だし、俺は俺でたまには言いたいことをいつもの倍以上の分量で書いてもいいでしょ、という記事でした。