「刺身の切り身がそのまま海に泳いでると思ってる」みたいな、今の子供は本物を知らない的な話、何年か前に聞きましたが今となってはどうでしょうか。私は当時は草花にはまっていたのですが、一輪挿しで部屋を彩るガーベラがどのように生えているのかを知りませんでした。
そんな風に知らないとか知っているみたいなことは、けしかけ方一つでよくわからないどっちがえらいかえらくないかのバトルに発展しますが「どう知るのか?」というのを考えたりすると結構面白いなと思います。あ、あとどこまで知るのかなんてのも。
僕にとって日本の戦車は、よくわからない存在。どこで活躍していたかとかそういうこと以前に、ドイツやイギリス、アメリカの戦車が駆け回る世界しか頭の中には入っていない。しかも、それすらもかなりぼんやりとしている。そんな世界観の中で日本の戦車はよくわからない。不思議な迷彩、妙な形。強そうか弱そうかと聞かれると、史実のせいか「弱そう」と言いたくなる。そして見慣れているのに見慣れない、カタカナ表記の車種たち。漢字に憧れる欧米人の気持ちがよくわかります。そうか、これは神秘だ。
今月号のアーマーモデリングは「俺にとって日本の戦車は神秘的なものだった」ということがよくわかる号。ボックスアートを見ても異様な黄色い帯の迷彩は作例として写真が載っていて、密林の情景に溶け込む戦車は「え、そんなところで戦っていたの?」という知らないことを知らされました。確かにその迷彩と、記憶の片隅に残る毎年夏休みに放送される数々の特番が組み合わさるとそうなのだけども。
「志」とか「け」とか書かれている車両もなんだかよくわからない。英語で言うならAとかBなんだけど、それでも普段慣れ親しんだ言葉が、記号として扱われる様子がとっても面白くてなんだか気になる。欲しい?と聞かれたら「結構欲しいぞ俺」と普通に思う。普段は戦車なんてほとんど作らないのに不思議だ。
日本の戦車を作ったところで、なんだか「辛い戦争の記憶」みたいな感じで暗い気分になるかなと思ったのだけど、どうにもそれだけではなさそう。ついつい戦(いくさ)という厳しい過去ばかりに目が行くし、その中でも「戦い抜いた英雄」みたいな話にも発展しがちなものなのだけど、それとは違う「日本の戦車という奇妙な塊」の面白さが作例や図を通じてよくわかった。
手にすることでわかることがきっとあると思うので近々、日本の戦車を作ろうかなと思います。あ、あと当たり前ですが、表紙の山下しゅんや先生のイラストが最高ですね。こうしてみると、異なるスケールの人と乗り物の面白さっていうのはイラストではすでに成立しているんだなって感じます。
今週の物販