ライブだと自分も含む客は騒いで踊る。映画だと物語を見ることにはなるが、生身の人間が目の前で何かをするわけでない。観劇というのは目の前で人が動いている様子を座って見るという、ライブと映画の間のような娯楽っぽい。
足を運んだのはシアター風姿花伝というめちゃくちゃおしゃれな名前の劇場。こういう所へは初めて行った。狭いか広いかはわからないけど、とにかく演者と客の距離が近い。それに、舞台は特別高いところというわけではなく、ほぼ地続きな感じ。とはいっても、あっち側とこっち側を区切るような超えてはいけない線が存在するような気がするのが良いと思った。
線、という意味だと俺が店員をやっていたころは友達がリアル、ネット問わずバコバコ店に来たし、常連の人ともめっちゃ友達!みたいになったこともあった。「これでうまいもんでも食えよ」ってポケットにお札入れてきた人もいた。そういう仲良い人と一緒にいるときに、このまま向かいの席に座ってグダグダ話せると最高なのになって何度も思った。やめるときに手紙をくれた女の子もいた。ただ、そこには客と店員というはっきりとした線があって、当時はそのたびに足元を見て「線がある」と思ってた。舞台と客席の線もそんな風に見えた。
劇場の客が通るところしか知らないのも境界を知覚する要素だと思う。「まさかあの百貨店は地下六階まであるのか!」みたいな裏側を見ることができない感じ。楽屋とかそういう演者の領域があることを知ってはいるが、どこにあるかがわからない。見る側が入れない空間があるというのが少し神聖な感じ。
演者と客の距離が近いと何が起こるのかというと「こっちを見ている!」と錯覚してしまうときが何度も訪れる。狭い空間で少人数が見ているという場の特性が余計にその思いを駆り立てる。多分、こっちを見てはいるけども私を見ているわけではないだろう。ただ、客席に向かって芝居をしているときや、最後のあいさつでバチンッと目が合うと「うわっ」となるのがすごかった。カラーレンズのメガネを掛けていなかったら思わず下を向いたかもしれない。次も絶対かけていく。
好きな俳優がいれば、その人が出る作品をなんとなく追っかけるのも面白い。私はショーケース形式という、複数の劇団が短編を演じるのを見て「この人いいな」という感じで、興味を持ち始めました。
今日の物販