ダンピアのおいしい冒険という漫画を借りた。そう、借りたのだ。
ウィリアム・ダンピアという人物が私掠船に乗り世界を旅する中で残した書物の中でも、特に食べ物に焦点を当てて描かれた漫画で、そこから大航海時代(であってる?)のイギリス、スペインを中心とした欧州の歴史を知ることができる。
これが1、2巻しか読んでいないのだけど結構楽しく読めた。ただ、表現次第では「まんが世界の歴史」みたいになりそうな部分に関して会社の先輩と話をする機会があった。要は、こうやって漫画じゃなくても面白そうな話を漫画にするのと、それ以外に漫画家自身が考えたストーリーが漫画になるのと、違いがあるよね。という話。
そんなことを話していたらすぐに「現実のほうが面白くなっちゃうんだよ」と返してくれて、そこから「大谷のことを漫画だとNG食らうような設定とストーリーだって、みんなが笑うけど、現実がそうやって想像を超えてきちゃう。だから、現実には現実の面白さっていうのがやっぱりある」と話してくれた。
確かに言われてみればこの2023年にもなって「漫画を互いに貸し借りする」という中高生みたいなイベントが発生するとは思わなかったので、やっぱり現実は現実でわけのわからない面白さがハッピーなのかどうかは別として、突如現れるんだと思う。ダンピアのおいしい冒険も「面白いよ、これ」って貸してくれた人のチョイスに関心したりとか、その人がなぜこれを貸してくれたのかを考えると、そこに可笑しみがあったりするわけで。
なんかカバーの紙の質感が気になって、見返しを見たら「装丁:鈴木成一デザイン室」なんて書いてあったりするともうね。ああ、これは借りてよかったな。なんて思うし、早く次の巻を貸してくれ、とも思う。買ってしまうと現実の面白さがまるっきりスポイルされそうだから。いや、でも普通の漫画ってこういうツルツルしたグロスコート紙がカバーになるか。今はどうなんだろうか。最近の漫画、買ってないな。
というか、この場合は漫画を読むことに意味があるんじゃなくて、貸し借りをするという行為にこそ意味があるわけですね。