マシーネンとの初遭遇は幼い頃に見た、上野ヤマシロヤのプラモデルコーナーだろう。その後の記憶はまるでないが、あの箱、あの形状。忘れられない。世界観については全く勉強していないがこうしてスケールモデラー的に手を出すのは案外容易。しかも今はガチャーネンというその名の通りでガシャポンで入手できるものがある。500円。大人の私には安い(ガシャポンのみならず、常時売っていて欲しい)。
かなり懐の広い世界のようで、様々な作例が出てくる。いろいろな色、形状。見ていて面白いが、今までは実在するものを相手にして遊んでいたのでファーストインプレッションはそんなにピンとこなかった。今までは秩序立った綺麗な置き物が部屋に欲しいという理由で模型を作っていた節があるので、その点では架空の複雑な色で塗られた重苦しい置き物は部屋にはいらないということになる。
組み立てて、塗る。組み立ての段階で少し気づく。「この自由さに俺乗っかってるな」と。細かいパーツ以外を全部組んで、はみ出しても後で直せばいいやという大きな気持ちはいつもと違う。そのまま塗る。奥まったところも少し強引に塗料を押し込む。はみ出る。気にしない。色は?まぁ最初はそれっぽい色で。いささか場当たり的なのが気になりだして、少し気持ちを落ち着かせる。
自由にやっていいというのはタミヤのSASジープでもそうであるが、そう言ってもらえることで、世界が少し狭くなる。狭くなるというか、歩く距離が短くなる。
私はこの現象が少し好きで、反対にこうしなさいと言われるとそれを全てクリアしないといけない気がするので、やることが増えてしまい、たとえ世界が狭くとも歩く距離は増えてしまうので広く感じる。
なので、自由という言葉で狭くなった世界にいくつかの既存の知識が渦巻く。まず、この手のものを見たのは漫画のプラネテス以来だ。プラネテスではヘルメットはオーダーメイドだったが、それ以外は使い回しだった。あとはこのマシーネンが持っている偵察用のブレードが気になった。この辺のものはおそらく、マメに交換するものだろう。
数字も、現場ごとに異なる番号をその都度割り当てられるような気がする。
そんな風に自由という言葉の上に知識をガシガシ乗せて見ることにした。
マシーネンの面白いところをまだ全て知ってはいないが、即興的な部分(筆で自由な模様を描くだとか、そういうことだ)と、そうでない部分に分けられる気がする。
今回は後者の部分で、マシーネンの面白さみたいなのを味わうことができた。自分で組み合わせた設定が見た目に表現し、それが許される世界というのは新鮮だった。
今も怪しく、部屋を漂うマシーネン。
異質でありながら、俺はこのマシンを知っている(設定を積み上げたのは私だから)。
↓模型はもれなく組み立ててブログにのります。
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