Re:11colors

日曜午前中更新です。革靴、模型、日常。

エモーショナルの前に立つ俺

Frontという日本の雑誌があった。これは対外宣伝誌と呼ばれるもので戦時中に発行された雑誌。

 

日本の軍事力などを世界各国に誇示するために作られたもので様々な国の言葉に翻訳されたりしたもので、検索すると誌面がバシバシ上がってくるのでぜひ見てもらいたいのだけど、デザインがとても優れている。現代でも通用しそうなパワフルなデザインはロシア構成主義に近く、その強い個性を一度見るだけで雰囲気にやられてしまうこともあると思う。誰が作っていたかなどを見てしまうともう愕然とし、膝を地面につけてしまいそうだ。木村伊兵衛

 

私はこの雑誌に存在を10年以上前に知ったのだけど、まだ覚えているのは正にガツンとやられてしまったからだ。

 

そしてそれを紹介してくれたデザイナーの話も覚えている。

 

「このカッコ良さと、戦時中に作られたということは分けて考えたい。なぜならこのカッコ良さに罪はないから」

 

模型を作るときに似たようなことを考えていたりする。「この好奇心を掻き立てられるフォルムには罪はない」と。もっというと「このカッコ良さの前には俺は無力だなー」とすら思う。

 

それほどまでに多くの戦闘機は空を飛ぶための叡智の結晶だし、面白い形をした戦車はそうであるだけでその模型を買う理由になってしまう。軍用車両なども、そのリアルな使われ方に惚れてしまう。その度に「カッコ良さに罪はない」という言葉を思い出し、買うことを肯定するし、従う様に箱を開け、組み立ててしまう。

さらに厄介なことに模型のほとんどが組み立てることが面白いのだ。作るたびに「わー面白いなこれ」という瞬間に何度も遭遇する。モチーフとなるものを設計した人と、模型を設計した人の何かが手にビリっと伝わってくる。

 

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その刺激を喰らいながら完成まで走る。そして出来上がりに満足したりもするし、反対にその戦いの姿を生々しく感じてしまい、せっかく出来上がったのに比較的早く捨てられたりもする。

 

ただわかっているのは作ってる間は取り憑かれたように作るということ。作ってるのか、それとも本当に取り憑かれてしまって作らされているのかは定かではないがとにかく、いつかは、何かを、組み立て始めてしまう。

 

今だって毎週末は模型を作る。これは外出できないからなんだけどそれにしても、作っていることには変わりがない。部屋にはまだ組み立てられていない飛行機模型がいくつか積んである。

 

7月のカレンダーを見れば、今週の土日はあれを作る。来週の連休にあれを作る。8月はツールドフランスに合わせて……と予定を組み立ててしまう。

 

その美しさやカッコ良さに罪はない。そしてその前に立つ俺はあまりにも無力で、だからこそ根っこのところにある歴史的なことに手を触れずに模型を作る。触れずというか知っているから「分けている」ということにしている。

 

俺も、本物を見たらしばらく模型が作れなくなるだろう。そこにあるのは歴史と模型をくっつけたり離したりしながら楽しく遊ぶ、知性や人が作ることの意味だ。

 

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