バケツが余ってました。最初は荷台につもうかなと思ったのですが突如、銃を持たせるのが嫌になり、バケツを持たせたのです。
ミリタリー系の模型を作っているときに指す嫌気は、大抵こういうもので突然、戦の様子を作っていることにうんざりするという現象が起きます。じゃあ作るなよ、という話ですが人とマシンのドラマに惚れて「このキットだったら何かワクワクさせてくれるかも」と購入するときの自分と、いざ作り出して最後のイチゴを乗せる作業をしている自分というのは随分違うようで、それはまるで今日はシチューにしようとスーパーマーケットに入ったのに出るときには肉野菜炒めの食材を買っているのと同じようなものだと思います。食事の場合では「全てを返品してカレーの食材を買い直す」なんてことはめったに無いでしょう。
模型も実際そんなものだと思います。「なんか違うな」と思ったあとの軌道修正は、すごろくのマスを戻るような感じではなく、正に軌道修正と言った形で進行しながら「思っている今」と「描いている未来」をつなげようとします。
そんなときにほっと一息、一杯の温かいお茶のように存在したのが今回は2つのバケツだったというわけです。
幸いにも私たちは無限の世界を感じ解釈する力があり、中でもこういった不確定な存在にはとりわけそういう力が働きます。白黒の漫画のキャラクターの髪の色や、紙面から聞こえもしない声なんかは特にそうですね。自分の良いように解釈されます。
剣を鋤に、いや銃をバケツに替えられてしまった兵士たちは何かを奪いに行く存在から与えに行く存在に変わってしまいました。
当初、食料を調達しようとするメンバーだと思いましたが、バラをそばに置いてみたら水をやりに行く集団に役割を改めてしまったようでとても面白いものになったと思います。「バラに水をやりに行く人たち」と名付けました。他には消防士にも見えなくもないですね。真っ赤に塗ってみてはどうかなとか、思っています。
いずれにしても攻撃性はだいぶ薄れてしまいました。ただ切って貼って持ち物を変えただけなのに!(そうですね。これはきっと「演出」と呼ばれる作業の一つです)
今回の遊び方は、まさに「遊び方」だと思っていて、結果的に非常にユーモラスな風景が生まれたことも含めて気に入っています。また、誰かが(主に作った人間が )題名をつけてしまえば大抵はそう見えてしまうという点も面白いですね。
果たして塗装して仕上げていった先に、この世界が見えていたのか?とか、先ほど書いたように真っ赤にしてみたらどうか。あるいは「はい、これが平和な様子ですよ」とバラに水をやっている牧歌的な世界観を作り手の腕前で誇張していき、より「現実にありそうな感じにしていくのか」など、模型の遊び方や見せ方というのは私が思っているよりとても幅広いようだと感じています。
↓模型はもれなく組み立ててブログにのります。
今週の物販

タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.195 ドイツ陸軍 ハノマーク装甲兵員輸送車 D型 シュッツェンパンツァー プラモデル 35195
- 発売日: 2006/10/04
- メディア: おもちゃ&ホビー