「なんか転換期来てるのでは」と思うようなことがあった。ドイツ軍の野戦炊事セットの話。マジでこの記事には頭をガツンとやられて、オンリーワン戦略に近いものを取り続ける自分としては少し悔しかった(そしてニコニコしながら野戦炊事セットを買った)。
転換期ってのが何を指すのかっていうと、がっつり作り込むでも、気軽に楽しみましょうでもなくて、模型そのものが生み出す良さを「とてつもなく楽しいものだ」と思わせる楽しみ方のこと。
その魅力をまるでおとぎ話でも聞くかのような気持ちで読み、心が動き、結果的に「作ってみるか」と思う。そして、それをさせてくれる巨大な懐を持つ模型の数々に頭が下がる。
特に凄いのは、ミリタリーモデルが実物を基にしていて「歴史的」な点だろう。そして、タミヤのミリタリーミニチュアなどは説明書にしっかりと史実が記載されている。客観的なものを基に何かを読み取り、語り、自身の世界を作ることの真っ直ぐで簡単な楽しさを、今はいとも簡単に色んな人に見てもらうことが出来る(今は?さて、それはいつからだった?以前からだとしたら、なぜ今までそうはならなかったんだろうか)。
これは誰かが紡ぐ物語の部品として史実が機能していると考えることも出来る。歴史的な事実が俺たちが作る今の話を時を超えて支えてくれる。
こういう遊び方意外にも、とにかくそういうヤバいことがどこでも起きる可能性があって、現に起きていてそして今、観測可能な事態になっている。
俺の思ってた模型はそういう意味だと「出来上がった成果物の世界」。今、少しだけ変わろうとしている。
詩が読まれるためなのか歌われるためなのか、あるいは書き写されるためのものなのか。そんな、模型の多様性の誕生の予感。
記された歴史や、キレを増し続け作りやすさと美しさが同居した模型の数々。そしてそれをサポートする道具たち。今はそれをどう扱うのか?作った本人は何を語り見せるのか?そういう、聴くためのレコードを逆回転させたり止めたりさせ、楽器とするような「新たな切り口」がじわっとその姿を現してきている。
ニッパーとピンセット、タミヤセメントを普通のと流し込みタイプ。あとは思ったことを書き留めて表現しようというハート。
それだけを持ってスタジアムの選手用の入り口からフィールドに足を踏み入れてみると、今しか味わえないワクワク感が待ってるかもしれません。
今週の物販