積み木の持つ無限の可能性に触れた。
まず、積み木は作るのが簡単だ。角材をホームセンターや100円ショップで買う。
ついでに刷毛とニスを買う。紙やすりを持っていないならそれも買う。均して、塗って、乾かす。それだけ。
それを適当に置いてみる。どうやら積み木の配置がガイドになり、乱雑に置いたミニカーも揃って見える。積み木調和が発生する。
積み木なので積んでみる。なるほど、山である。
高さが気軽に出せるので飾るのに便利。次は飛行機を持ち上げる。これが良かった。
積み木を積んで持ち上げているのだけど、これが透明だったらどうかなと一瞬思った。擬似的に浮いて見えるだろう。もちろんそれも良いし、試したいと思う。ただ、そう、そうなのだ。「積み木を積んで持ち上げている」のだ。これがよかった。こういう展示をしている様子に見える。積み木の持つダイナミズムと飛行機が持ち上がっているという様子が強烈に理解できる。飛行機に急に重さが出る。
積み木は模型を浮かせることができる。これが面白い。飛行機は足元を3点支えるか、翼をぐいっと猫の前足に下から手を突っ込んで持ち上げるようにあげられる。
そうして、勘所を少し掴み「ああ、ここで立ってるのか」なんてわかると自転車が浮いてしまったりする。
面白い。積み木は模型を不思議な形で固定する力がある。
普段は到底やらないディスプレイも積み木があればできてしまう。斜めに傾き、綺麗な翼面を見せる。これもよかった。ミニカーと合わせるとパブリックアートの様相を見せてくる。模型が、実物でもそのままの模型でもなくて、縮尺よりもデカい模型に見えてくる。ビッグサイトのノコギリのような大胆さ。
角材の割に発展性がありすぎると思う。
こうして遊んでみると、積み木を模型と合わせることは普段見ることのできない瞬間を固定する遊びであるということが少しわかる。そして、積み木遊びの通りで積んだり並べたりする中で、何か釣り合ってしまう構造みたいなものを、直感的に探すことができる。こうしてみたらどうか、ここをこう見せてみたい。そういう意欲のトリガーとしての模型、そしてそれを支える積み木。なんてことない遊びだが、そこに流れる時間は暖かくも、直感的で、そしてなにより創造的な癒しである。
↓模型はもれなく組み立ててブログにのります。
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