最近、プラモデルを作ってるんですが、箱を開けて説明書通りの手順をこなすと形になる。ただ、これはマニュアル通りの仕事でもあし、やらされ仕事なんだよなって思ったりもする。でも、マニュアル通りに作ることで形が出来上がるのは楽しい。これは作る側に楽しむ心があるからだ。
また、プラモデルはそれだけでは作れない。ニッパーや接着剤などの道具が必要で、それを用意するのは面倒だ。ただ、その一方で目の前の箱の中には道具さえあれば楽しむことができる。目の前の楽しみが詰まった箱の前で道具を揃えることを面倒だと思い、見逃してしまうのはもったいない。
これは仕事にも似ていることがあって、楽しみが詰まってるかもしれない箱を、楽しむためのものを用意することを面倒くさがって仕事がめんどくさくなったり辛くなったりする。その目の前の仕事はもしかしたら楽しくできるかもしれないのに、その前段階でやめてしまい、嵐が過ぎ去るのを待つのか出来損ないを作るのか。なんてことがある。楽しいかもしれない箱を開けすらもしない。
ただ、これには問題がある。フランスのプラモデルを作っているときに説明書が間違っていたことがあって少し苦労した。これは仕事で言えば、渡されたマニュアルに問題があったり、あるいはマニュアルそのものが提示されてないことに当たると思う。
だから私はプラモデルを楽しむようになってからは仕事を渡す人間になるときは、そういう、楽しんでもらうためにという心遣いを持って渡していた。なので受ける側、作る側だけが悪いわけではなく、互いに楽しみに向けての努力や工夫が必要だ。つまり作る側の楽しむ心だけではなく作らせる側にも楽しませるための仕掛けを用意する必要がある。
仕事をもらう側は楽しむために何かを学んだり揃えたりして箱を開けるためのエントリーをしないといけない。一方で仕事を渡す側はそういう風に思わせる気遣いをした方が良い。
そんな話を今日、退職に際しての送別会でした(覚えてる限りそのまま書きました)。
この話は続きがあるような気がして今、こうして書いてるんだけど、ある程度プラモを作り慣れてくると説明書の間違いに実は気づける。また、ここでひと段落、という説明書のメッセージにも気づく(切って貼ったパーツが全て繋がって、次の工程が全く違うカテゴリのもののときはきっとそうだ。エンジン周りやシャーシを作ったあとに一通り全てがくっついて、作業スペースに余剰パーツがない状態で、次にボディに入るときなんかは特にそうだろう)。
あるいはこうした方が良いものが出来上がる、という追求が発生する。
それは、自分一人でもできるが、誰かに教えてもらったりして知ることもできる。
また、プラモデルだけでなく実物に興味を持つとそれの要点がわかる。この成果物の魅力はそもそもなんなのか。それに気づくとカッコよくビシッと決まったものが作れる。これは、様々なところで言われる「コツ」に近いものだと思う。
タミヤのウルフはF1マシンにはエンジンがあり、そこからパイプが伸び、パイロットの席があり、ハンドルがありとずっと一直線に貫かれる姿がカッコ良さを生み出していることに気づかされるキットだった。
おかしな話だが、プラモデルは俺にはそういうことを教えてくれる存在だ。
今日の物販
タミヤ 1/20 グランプリコレクションシリーズ No.64 ウルフ WR1 1977 プラモデル 20064
- 出版社/メーカー: タミヤ(TAMIYA)
- 発売日: 2010/10/29
- メディア: おもちゃ&ホビー
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出来上がりの、トラディショナルなF1マシンという姿は惚れ惚れ。
デカールがまじで難所なので早々に割り切ってレタッチ前提で。