こんな小さなバイクですら「バイク作ってるな」と思う。
今年の夏ころに自転車を作ったが、その違いは明確だ。エンジンがあるかないか。
この差は作っているときのエモーショナルな部分に随分と作用するようだ。
作っているときはもう10年以上前にBSで見たモーターサイクルダイアリーのことを思い出した。「モーターサイクル」という言葉が指すバイクはやはりこういう逞しさと、たっぷり積んだ荷物。ラフな服装。そして、刺激を受けた次の日に手持ちの服さえあればそういうフレーバーをたっぷりと自分にまとわせることができる、大いなる幻想の世界(きっと俺は明日はモーターサイクルコートを思わず着るのだろう)を持っている。
そういった煙や土埃を感じる世界を作りあげるには一人では難しいらしい。
バイクにまたがった男が止まるには、止まる理由が必要だ。
空想で道に迷っている、信号が赤だ。など言ってもいいが具体的な存在として、おっさんが一人ついてくる。それでいて、このおっさんも良いポーズだと思う。バイクを受け止めるに足る、おっさんだ。
良いポーズだなと思うのは造形のバランスもそうだが、このおっさんは専用のポーズをしているというか、使い所の狭いポーズをしている点も好きだ。
タミヤのミリタリーミニチュアでバイクを取り上げたものは様々あるが、現行で手に入るものを比べてみると、一番芳醇なのは多分これだと思う。
二人と一台の小さな世界が醸し出す重厚さがとても良いです。
今週の物販