Re:11colors

毎週木曜日更新です。

丸善×一澤信三郎帆布

一澤信三郎帆布は京都にある鞄のお店なんだけど、京都の直営店じゃないと手にとって買えない。通販はやってるけど鞄を通販ってのはなかなか難しい。

ただ抜け道は幾つかあって一つは百貨店の催事。もう一つはどこかとのコラボアイテムを狙う。あまりよく知らないけど、多分そんな感じだと思う。

 

百貨店の催事は東京都内だと新宿伊勢丹で数ヶ月前にやってて「おお、すごいなこれ」とガシッとした強い鞄を見て感心した。他所の帆布とは少し違う。私が持っているものの中だとこれは一番硬いけど、私が知っている中という意味だともっと硬いものもある。そう思うとちょうどいい硬さなのかもしれない。

 

百貨店の催事で少し頭の片隅に残ってて、欲しいかもしれないなと思っていたらちょうどいいコラボアイテムが出た。それが丸善とのコラボ。

ある程度の人は本屋は〇〇派。なんていうのがあると思う。私は断然丸善派だ。

丸の内のオアゾの本店も、日本橋店も仕事の帰りであったり休日だったりに具合の良い方を使っている。丸善の何が良いかはよくわからない。

ただ、快適だな。見やすいな。と思うそれだけでいいのかもしれないけど。

あ、あとオアゾの文房具コーナーにはお世話になっているか。

気になっていたお店とお世話になっているお店が共同で出している鞄だから買ってもいいかなという感じで買った。なくなったら後悔しそうだしそんなに高くもなかったし。

 

f:id:nero_smith:20170921230522j:plain

 

一澤信三郎帆布の鞄のモデル名などは詳しく知らないけどもこれはかなりオーソドックスなものなのではないかと思う。A4が入って把手は長すぎず短すぎず。中は特に部屋分けはされていない。前に中くらいのポケットがあるだけ。

休みの日に使っていると案外こういうものがいいんだよな。と知ってたことを当然のように再確認する。あまり几帳面にならずに持っていくというか。本入れて、飲み物入れて。財布も入れて。汎用性は言うまでもなく良い。

 

f:id:nero_smith:20170921230619j:plain

 

f:id:nero_smith:20170921231416j:plain

あとはもうこれは単純に丸善とコラボをしているというその事実が際立つ良さだと思う。馬鹿みたいに真面目な「丸善」マークが愛おしい。

どうしても靴からの話になるんだけどマナスルシューズとかあったじゃないですか。あれもソールを裏返すと丸善のMマーク入ってるし。丸善って本屋なのか??と思うときもある。傘とかシャツとかもあるし。その辺の私の知らないところでの何か、本以外の物への力の入れ方が好きでもある。

日常使いするカバンに関しては鍵をぶら下げるために把手にカラビナをくっつけるんだけど、これは文句なくそうだろう、ということでくっつけた。

 

f:id:nero_smith:20170921230653j:plain

 

お世話になる気もなくお世話になる鞄だろうなこれは。

「足りない絵」がうまくなりたい。

足りない絵というのは私が果たせる役目の中で「絵」だけが足りないことを指す。

 

完成度の高い情報表現をきちんと作ろうと思ったら、その3人が必要だということは、その3人がいればできるということでもあります。

デザインの仕事/寄藤文平 185ページより

 

 

デザインの仕事

デザインの仕事

 

 

ここでいう3人とは「デザイナー、編集者、イラストレーター」のことを指す。

私はデザイナーは3年ほど、エディトリアルをがっつりやる中で編集に片足を入れて、次の職場ではそのままライターの方に。イラストは当時全然描けなかった。

ただ、文学フリマを通じて「ああ、うちにはイラストレーターがいないな」と気づいて、というか

 

「思ったより売れるからこれはイラストレーターをつけたほうが、売れるし何より本として読む人の満足度が上がるだろう」

 

とデザイナーの私と編集者の私が話をしてイラストレーターの私を採用することにした。そう、イラストレーターの私がいれば完成度の高い情報表現ができる。はずだ。

というわけでこのブログでも定期的に書いているように絵の練習をずっとしている。

 

最近、少し面白いなと思うことがあった。

もともと「努力しない・時間をかけない」を掲げていてなるべく練習しないで上手くなろうとしてたのだけど『本を読んで』『練習をする』ことを覚えて毎日コツコツとは言わないでも暇な日はやるようにしていて。最近いよいよ11月に迫った文学フリマの準備をしていたら「ああ、こういう気持ちで、あれか、取り組めば良いのか」と気づいたのだ。

それは

 

・本を読む

f:id:nero_smith:20170914223752j:plain



・練習をする

f:id:nero_smith:20170914223837j:plain

 

・実践

f:id:nero_smith:20170914223801j:plain

 

と分けて考えて臨むこと。

 

「こうやって分けておけば、何かしらやるだろう」と。

 

絵を描くのが面倒だなと思ったら本を読む。描き方に関して読んでいると、試しに練習してみるか。となる。練習して自信がつくと、じゃあ実際に描いてみましょう。と実践。そして完成へ。めでたしめでたし。

 

当然の話だけどもこれは定期的なサイクルではなくて、割と適当に動いている気がする。例えば本を読んで知識がパンパンになると試したくなる。練習もそんな感じで、コップの中に水が満たされたら別の容器に注ぐ。そんな感じで進む。

この中で面白いのは実践からどうなるのかだと思う。うまくいかないと悔しくて、他の二つに戻る。

 

しかも作成中に知識があると「この表現がよくわからないんだよな」「ていうか線を引くときのフォームが綺麗じゃないんだよな」「もっと線の感覚にシリアスにならないと」と至らない点に気づくので、またそれについての勉強や練習をしたくなる。

大体自分の場合は「この表現は逃げている」「この線の省略は描き方がわかってないからだ」という感じで。その辺のトライアングルは割と自在に動いてる。

 

そうそう、そういえば昨日なんだけど初めて自分の絵に色をつけてみた。

「これ使ってるよー」ってブログで教えてくれた方がいたので。

 

jurigeko.hateblo.jp

 

 

基本的に手描きで完成まで持っていくのが常だったから色をつけるっていうと絵の具しかなくて、失敗したら戻れないから嫌だったんだけどこれだったら失敗しても戻れるもんね。

 

f:id:nero_smith:20170914223807j:plain

制作に使っているMacbookは黒いやつで昔でいう「松」とか呼ばれていたやつなんだけど、もう10年以上前の。学生時代のアカデミックパックのCS2でなんとかやってるからPhotoshopで着彩とか結構、ね。動作面の問題が。あと、マウスでってのも難しそうですし。というので止めていたけど、これだったらサクサクいける。

この作業をやってるときに初めて「見たまま、思った通りに描けばよい」というのが少しわかった。ああ、勉強してなんかそういうのの素地みたいなのできたんだな。

 

とはいうものの4色で本作ると値段がべらぼうに上がるのと色の調整の手間とか、いろいろあるんで色付けしたものは本にする予定はないかな。あと、PC止まったら嫌だし。

それに制限がある中で、習慣的な技法を学び使うことでかえって個性を発揮しやすいみたいなこと書いてあって「ああ、なんかラップぽいな」って思ったりした、その感触の良さを今は追いたい感じもあるので。

 

 

ペンで描く

ペンで描く

 

 

 

決定版 脳の右側で描け

決定版 脳の右側で描け

 

 

あとは、描くスピードが上がればもっと上達速度もあがるのでは。

KICK THE CAN CREW復活祭

ライブレポではないです。

 

私はKICK THE CAN CREWに大きな影響を受けて育ったのだけど、昨日初めてKICKのライブを見ることができた。中学の時に「かっこいいなー」って思ってたら友達が「VITALIZERいいよ」って教えてくれて近所のTSUTAYAで借りて、そのままずっと。

活動休止した後も聞いたし初めてiPodに入れた曲もそうだったし、とにかく好きだった。ライブがどうこうっていうのは当時は、金もなかったりしてあまり興味はなくてでも広告批評のピンクの特色で「コトバ」って書かれた奴はどういうわけか買って面白く読んで、一人暮らしになった今も部屋に置いてある。

 

そんなKICKを昨日、初めて見た。

神様かと思った、というのは言い過ぎにしてもびっくりした。「うわぁすげぇな」って。三人がステージに上がったときの妙な緊張感。私のように心待ちにしてた人もいっぱいいるだろうから誰もが成功を確信しているし、盛り上がらないわけがない。だからこその、少しだけナーバスなムード。その中でのKREVAの「俺はやってやるぜ」みたいな顔がすごい印象的で「ああ、この人はこういう人だよな。すげーな」って思ったりLITTLEの少し思いつめたような下を向いた顔とか、MCUなんかはもう私は一番好きだから「すげぇ。MCUだ。最高だぜかっこいい。この人も緊張してるのかな。だとしたらこんな人でも緊張するんだ」って思いながら見てた。

 

当たり前のように千%はやるんだけど、この曲のなんでしょうね。本当に帰ってきたとか復活したとかそういう感じって。

 


KICK THE CAN CREW「千%」MUSIC VIDEO

 

たとえ誰に抜かれようが 余裕に抜くアイディアが生まれそうだ

 

とか、めちゃくちゃ余裕あるじゃないですか。

余裕っていうかなんだろう、研ぎ澄まされていながらも清々しいというか。

そういう14年を経て洗練された何かを見たり、昔の曲を今、歌う様子とかはなんていうか本当にそれだけの年数があって今があるんだなと思ったわけで。

 

で、自分の話。

「ライブレポではない」と書いたのは自分の話をするから。

自分の14年はどうだっただろう。高校行ってデザインの専門学校行って転職を二回した。

確かに10年前はデザイナーとして事務所で働いていると思っていたけど今は「デザイナー」の肩書きは持っていない。嫌で、辛くて、このままだと頭がおかしくなるなと思ったときに業績が一気に悪化してクビになったから。転職の準備はなんとなくしてからよかったんだけどね。

今はデザイナーではないけど仕事の上でデザインをすることは多い。会社にはデザイナーはいないから、私がそれをやった方がみんなが本来やる業務に集中できるし良いことだなと思う。それと、ラッキーなのは特殊な業界だから商品特性を知っていてものを作れる人が少ない。これがすごい。おかげで好きな文章も書くポジションも抑えてるし、カメラマンもやれるし奇跡だ。

 

ダメな状況から自分で自分を変えながら、少しずつよくなって失敗するにしても同じ失敗はしないように実験してみたりして失敗して心を病みかけたけど「こうしたらどうだろう」とわざと違う試みをするというか。そのまま調子が戻ってきて、ここ数年でいうと、今なら絵が描けそうだ。と靴の絵がうまくなった。

もともと持っていたものを自分でなんとか復旧させて、それを組み合わせたらどう見ても「絵」が足りないから強制的に覚えさせたわけですが。

 

そんな形で14年経った今を復活祭を区切りに見ると「悪くないじゃん」と思う。

正確に言うと「14年前のKICKを聴いてた俺から見た今の俺は悪くないし、こうしてKICKを初めて見た今日、俺は俺をそう思えていてよかった」という感じだ。

あと私は単純な人間で、思い込みも強いから朝起きた時は「復活祭だから仕事はほどほどに……」なんて思ったけどKICK聴きながら歩いていたら

 

「いや、今日KICKは本番まで本気でリハーサルやってるはずだから、俺も仕事を本気でやらないとダメだ。やろう」

 

と自分なりにKICKに近づけるような精神状態に持って行けたのはバカバカしくてとてもよかった。でも多分そのときの気持ちって結構洗練された良さみたいなのあったと思うんだよな。昨日今日と作ったもの、どれも洗練されてたし。

 

あと、寄藤文平の「デザインの仕事」を読んで「日本語の装丁」つながりで、日本語をすごい気にしてるんだけど(もともと幸服無限でめっちゃ気にしてたけど)、そういう意味でも「復活祭」とか「千%」ってすごい好きだ。日本語の組み合わせで出来上がるものの良さにしっかり配慮してるというか。

千%はこの感覚はわかりやすいですよね。メーターがとうの昔に振り切れてるほどの充実感、満タン感。%は日本語じゃないって話もあると思うんですけど、日常会話での日本語っていうかそんな感じで、その辺の日常の言葉をうまいこと強くしちゃうのはすごいなと思う。

 

ふっかつさいのじゅもんをいれてください

 

f:id:nero_smith:20170908010754j:plain

 

とかね。こういうのものね。