Re:11colors

毎週木曜日更新です。

進むエイジング、変わる色合い〜RENDO GB001〜

あまり気にせず履いていたら結構見た目が変化していた。

この「気にせず履く」というのが結構曲者で、例えばそれは靴べらを使わないで履くとか、シューキーパーを入れないとか、全くお手入れしないとかそういう話ではなかったりするのが言葉を言葉通りに受け取る訳にはいかない面倒臭さがある。それが例え革靴を履く人間として常識だとしても。

 

私の言う気にせずは、多少の雨などは気にせず社内作業でダンボールをバコーンと足で端に避けるとかそういう話で、あとはオンオフ問わず履くとかそういう話も出てきたりする。そんな形で活躍するものとして凹凸のある傷の目立ちにくい革を選び、経年変化を予測して異なる質感の茶色の革を選んでそれぞれのコントラストを楽しめるようなものをオーダーした。

 

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見て分かる通り、随分と明暗の差が出てきた。明るい部分はまぁ、こうなっていくだろうなと読んでいたがその通り。イタリアのベルーガレザーはこの抜けていく感じが風合いとして美しい。

 

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つま先は私があまり気にせずに思うように足を動かすので傷が少し入っている。きっと凹凸がなければもっと目立っていただろう。ストームウェルトにして、コバもやや張り出しているデザインなのでつま先をガードしてくれるが「それでもぶつかるのか……」と思うとどう履いているのか自分でもよくわからない。

 

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ここまで色の差が出てくると使い込んだ風合いがほのかに主張してくる。

しかしこの、そこまでコロンとしすぎず、かといって品がありすぎるわけでもないバランスはなんでしょうね。私の考える「とりあえず履く」感がよく出てきている靴。

 

RENDOも、オーダー会がもうそろそろ始まる季節だ。

 

 

最初

re-11colors.hatenablog.com

 

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その次

 

re-11colors.hatenablog.com

This is チロリアンシューズ。中山製靴のチロリアンシューズ

チロリアンシューズは山が多い日本の風土にあった靴かもしれないという話をここ最近は良くしている。きっとそんなこともいずれ忘れてしまう気もするが、たまたまそんな風に思わせるような話を幾つか見つけてしまって都合よく面白く解釈しているのが今で、だからそう思っているだけなのかもしれない。

 

「いつ無くなるかわからない」という考え方は失礼な気もするが、私の父が作って取引先に納品していた婦人靴は父がこの世を去ったところで廃盤となった。作り方がわからないことが理由だった。

 

なので、きっと作るんだったら今なんだろう。

 

中山製靴は北綾瀬にある登山靴を専門に手がける店で、私の住んでいるところから近場にあるので日本の登山靴を買うならここだろうな。と目星をつけていた店だ。

マウンテンブーツが主力、あとはプレーントゥ、チロリアンシューズがホームページに載っていて、店兼仕事場にある納品前の出来上がった靴が並ぶ棚にはチャッカーブーツがあったり街履き用に少しアレンジされた物があったりとホームページに載っていないデザインは結構あるようだ。

「見ていいですよ」と言ってくれるもののあんまりジロジロ見るのも悪いのと、作りたいものはチロリアンシューズと決まっていたのでそれをお願いした。

 

革は、いくつか出してくれてこちらの要望も伝えたが「これもあるよ」と出してくれたのが昔のイギリスの革。どこのかは忘れたとのこと。

もうあんまり用意は無さそうで「あと一枚、使ってないのがあるからそれを使いますね」と話してくれたので、それが良いと伝えたら「これが一番良い」と一言。

サイズを測ってもらって太め・普通・細めのうちの細めの木型で注文して、何週間かして出来上がった。

 

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サイトを見たときも気になっていたが、やはり履き口が狭く設計してある。

 

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カカトが抜けないようにというコンセプトで作られているのは明らかで、クッと曲がるカカトのラインや長めの芯材、土踏まずがグッと削れていたりカカトの丸みも意識した底面の木型の作りが特徴。靴内で足を正しくセットさせ、それを維持することに注力している。

 

取りに行ったときに出し縫いの作業をしていたので「機械は使わないんですか?」と思い切って聞いたみたが使わないとのことで手縫いのよく締まっている縫い目が力強い。

ステッチダウン製法で作られていて、これは私がこの製法でなおかつ甲の縫いもシンプルに太めの糸で縫うデザインのチロリアンシューズを知らないからわからないのだけれどもそれぞれの縫い目って揃うものなのだろうか。

 

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履いてまず目が行ったのはそこで、私が知っているチロリアンシューズはノルウィージャン製法だったり、甲の縫いはもっとピッチが広くとってあってインパクトの有るデザインだったりするものが多い。なのでこれが普通なのか、すごいことなのかは不明だ。ただ、見た瞬間に「うわっ」となったのは言うまでもない。

 

履き心地は思ったより柔らかい。これは底付けの製法のおかげでサイトに載っている「チロリアンハード」はノルウィージャン製法なのできっと堅いだろう。

「あーほんとに足が動かない。良い良い」と思いながら昨日とりあえず一日だけ履いている。

 

35,000円と小さな店ならではの安さと言ってしまって良いのか、なんなのか。

機械を使わなかったり、家族三人での経営だったりと諸々安い理由は見つかるがそれにしても安すぎないか?と思う。

 

home.cilas.net

絵を描き続けることで〜デッサンの55の秘訣〜

絵を描いて描いて描いて得るものはなんだろうか。

前よりも上手く、早く描ける様になった絵。意欲的に時間を描けて大作に取り組める技術と探究心と意志の力。きっと色々あるだろう。

私は昨日の夜「好きなデザイナーが辿った道筋を同じように辿れる可能性がある」というとても喜ばしいことに気がつけた。

それがどれだけ嬉しいかというと絵が下手な中で練習していて良かったし、このタイミングで始めたことをラッキーだなと思えるほどだ(それまでは小さい頃に無意識にこういう基礎を積み重ねられてれば楽だったのに。と思っていた)。

 

troxlerart.ch

 

私は何度か、Niklaus Troxlerというスイス人のグラフィックデザイナーにこのブログで触れている。それは好きだからだ。

知性を感じさせるシンプルで明確なそしてユーモアや想像力を掻き立てるグラフィックはもう10年近く好きで、今でも何か物を作るときの評価基準に

 

「それはニクラウス的か?」

 

とか

 

「トロホラー感はあるのか?」

 

と自分に問いかけるほどだ。

なので私が描く絵のゴールはもちろん「niklaus troxler的な何か」になっている。

 

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troxlerart.chより引用

 この精密ながらも洗練された様子の美しさはなんということだろう。

10年前でも、今でも同じように美しく思う。ある時期はこういった楽器と何かを混ぜる作品が多く、この頃に纏っている雰囲気が好きで最高だなと思っているので続けてもう一つ引用させていただきたい。

 

 

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troxlerart.chより引用

 

なんて見事なビジュアルだろう。絵の良さだけじゃない。

「River」だから魚がサックスの中から飛び出している。

演奏者はきっと体と楽器を水に浸しながら川を渡ったに違いない。そんな想像がこの一枚に含まれることにクスリとする。

この時期のものが好きは好きだが、作風は変わり続け、表現したいものが変わっている。

 

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troxlerart.chより引用

 

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troxlerart.chより引用

 

 

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troxlerart.chより引用

 最後のこれは2017年のものだが現在に近づくに連れて徐々に音のようなものを表現しようとしている気がする。楽器ではなくその場で奏でられるであろう「音」を。そして今は彼は奏でられる音だけでなく楽器がメカニカルに動く操作音もポスターに表現しようとしているように思える。

このポスターは楽器のメカとしての面白さをリズミカルな色分けで表現しているのがすごい。CMYKをそれぞれ100%で4色でやってる点は若い頃に得た最低限の表現で形にする完成が研ぎ澄まれていて見ていてキツくすらなってくる。すごすぎる。

 

溢れ出るNiklaus Troxler愛で随分話が長くなったが私は今、彼と同じような経験ができているかもしれない!と嬉しいのだ。

 

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シンプルになるべく忠実にカチッと描く。

 

 

 

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見えるものにもっと、興味関心を持って描いてみる

 

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見えるものが描けないことを恐れずに危険水域に突っ込んでみる。

突然「こう行ってみてはどうか?」と線の引き方が見えてきて恐る恐る進める。

 

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とりあえず危ういまま攻めて見る。

 

「靴が描きたいんじゃない、新品の靴ならではの紐の慣れていない感じとか羽根の閉じきっていない様子、突然見えるパキッとした光沢が描きたい」

 

これを描いているときはそういう気持ちだった。

このスリルのある賭け、没頭しながらも自分を確かにコントロールする場面も必要になってくる作業は非常に面白い。油断して「やってしまった!」ということすらも面白い。上の絵は描き終わったあとに壁面の板の連なりを手癖で描いて、この絵の魅力をひどく下げてしまった。

 

このエキサイティングなひとときは自らの寿命と引き換えに周囲の人間の寿命が見えるような「目の変化」が巻き起こす。なぜかある日そう見える。面白いとしか言いようがない。そしてそうなる頃には「行けんじゃね?」と手はある程度の準備はできているようで、心はもう決まってしまう。

 

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そういった体験をされてみたい方は「デッサンの55の秘訣」の画家の筆跡の章は非常にオススメだ。

理由は簡単で私はその章を見て模写の課題を一回終えた後に靴の絵を描こうと思ったら目が見る靴は課題を行う前と違っていたからだ。

 

今、私は彼を追うことができていると思えている。絵を描いていてこんなことになるとは思いもしなかった。

 

 

先週の記事です。

re-11colors.hatenablog.com

 

こちらは「ペンで描く」の記事です。

re-11colors.hatenablog.com