Re:11colors

毎週水曜日更新(2022年11月現在)。革靴、模型、日常。面白いことあれば他の日も

七草ナズナの立体化はサンデー復活の証だと俺は言いたい。

 

4色、ネオンオレンジ、銀の箔押しという気合いの入った印刷に復活の鼓動を感じています。

 

俺はサンデーが大好きなので、今の様子を見ていると最高に気分が良い。週刊で追っている中で、何かが変わり始めたことを理解したのはコトヤマ先生の「だがしかし」が徐々にストーリー性を帯びてきたところから。そうこうしているうちにサンデーは連載陣がすっかり整備されて、だがしかしもめでたく最終回を迎えた。

 

そして、次回作が「よふかしのうた」。「面白いからアニメ化しろ!」「そして立体化しろ!」と強く願っていたらその夢がめでたくかなったので最高に嬉しい。七草ナズナは華奢で、ツンツンした性格で、気取っていたり、ドライだったりしてとても良いキャラクターだと思う。

 

 

まず細いところはしっかりと細いので最高。それでいて骨盤がバーンと張っているのもいいですね。プロポーションの良さというのもあるけど、フィギュアとしての立体感を出そうと考えた上でのバランスな気がする。下半身にボリュームをもたせることでしっかりと躍動感が出て、前後の立体感もバッチリ。それに服の重厚感にも負けていない。こういうアレンジをしながら立体に起こしていって、七草ナズナ像をイメージ、実体ともに納得できるような形にしていく行為の難しさや素晴らしさに感動しています。

 

 

マジでぐるっと見渡すと曲線がヤバい。撮影することでそれを理解する。本当に原型師はすごい。

 

これからもたくさん立体化してほしい。まじで。そういえば、俺のカワイイ女の子の原体験はうる星やつらラムちゃんなんですが、空を飛んだり主人公にバイオレンスな行為を図って愛情表現とする様子が割と似ている気がしています。

 

 

サンデー作品がこうして立体化するというのもコナン以外を除けばかなり珍しいのでそれも嬉しい。いや、もう七草ナズナがフィギュアになるというのは、キャラクターや作品の魅力もそうですが、サンデーという雑誌をドラマ的、あるいは歴史的に見た場合も含めて本当に最高なんですよ。サンデー、マジで頑張れ。これからも面白くい続けてほしい。そして、コトヤマ先生ありがとう。コトブキヤさん、まじで最高です。

 

 

今週の物販

 

 

 

 

 

植物とプラモが並ぶのが楽しい。

 

植物のそばに置くプラモデルはマシーネンクリーガーが良いなとかねがね思っていたが、それがついに実現して非常に満足している。パワードスーツのような中に人間が入っている様子がにじみ出ているものは特に相性が良い気がする。

人が立ち入れない空間に文明を駆使して乗り込み、そこで豊穣な自然という神秘的なものに出会うというようなストーリーを勝手に想像する。これがフィギュアだとちょっと違うし巨大ロボットだともっと違う気がする。「調査に行く」という雰囲気がほしいのだと思う。

 

ついでに、マシーネンについて自分が思っていることをこのまま書く。

抜群にいいなと思うのは、積極的に情報を集めないと「この塊はなんだろうか?」と世界観がわからないことだ。反対に映像がしっかりと残っているものとかだと、ついつい引っ張られてしまうというか、勝手に学習してしまう部分がある。

その辺はアニメでも映画でも史実でも共通で、例えば戦車一つ置いてあっても気づいたらその戦車がどういうものなのかという意味を認識しだしてしまう。「全くわからないけど、なんだかカッコいいプラスチックの塊」という役割を、長い間果たしてくれるのはマシーネンくらいだ。

 

 

それでいて、横山宏のデザインと、描き出す世界観がしっかりしているのが良いと思う。造形の面白さはもちろんだけど、デカールなんかも他のプラモと一味違う怖さとかわいさがあるのが愛おしい。

 

なので、何も考えずに塗装してもデカールを貼ってしまえば割とうまくいくみたいな感じがある。ただ、デカールを貼れば貼るほど横山ワールドの住人になっていき、自分が生活する空間から離れていってしまうことを今回は感じた。収納の達人に部屋を任せたら、素敵だけどなんか居心地は微妙……みたいな。

とはいうものの、プラモデルを作るのは買った人なので好きなように作るのが良いと思う。私は、横山ワールドに入りすぎないように眼を模した塗装のデカールは一度貼ったものも剥がした。

 

マシーネンクリーガーというジャンルで面白いなと思ったこともある。それは、どの兵器も一様に顔のような部分があるということ。人の目がぱっと行くところという意味での顔だ。今回作ったラクーンに関して言えば、頭頂部のハッチがそうだと思う。

私が素敵だなと思うマシーネンは、なんというか顔芸が上手なものが多い。一定の点数まで顔芸を到達させるという点でのデカールという見方もできると思う。今回作ったラクーンもやっぱり顔芸として魚の骨のデカールを貼った。

 

なんだかわからないけどカッコいいものは見ていて眼が癒やされる。ラクーンはキッチンに置いてあるのに、何回も見に行ってしまう。逆に意味を持ち出すとそれについて考えてしまうので、スッと目をそらしたくもなる。そういう点では、最近植え替えたパルダリウムは生育状況の良し悪しが気になって仕方がない。水をやりすぎて枯らすなんてことのないように、なるべく見ないようにしている。例え隣同士に並んでいても。

 

今週の物販

 

 

 

初めて1人で観劇に行ってきた話

 

ライブだと自分も含む客は騒いで踊る。映画だと物語を見ることにはなるが、生身の人間が目の前で何かをするわけでない。観劇というのは目の前で人が動いている様子を座って見るという、ライブと映画の間のような娯楽っぽい。

 

足を運んだのはシアター風姿花伝というめちゃくちゃおしゃれな名前の劇場。こういう所へは初めて行った。狭いか広いかはわからないけど、とにかく演者と客の距離が近い。それに、舞台は特別高いところというわけではなく、ほぼ地続きな感じ。とはいっても、あっち側とこっち側を区切るような超えてはいけない線が存在するような気がするのが良いと思った。

 

 

線、という意味だと俺が店員をやっていたころは友達がリアル、ネット問わずバコバコ店に来たし、常連の人ともめっちゃ友達!みたいになったこともあった。「これでうまいもんでも食えよ」ってポケットにお札入れてきた人もいた。そういう仲良い人と一緒にいるときに、このまま向かいの席に座ってグダグダ話せると最高なのになって何度も思った。やめるときに手紙をくれた女の子もいた。ただ、そこには客と店員というはっきりとした線があって、当時はそのたびに足元を見て「線がある」と思ってた。舞台と客席の線もそんな風に見えた。

 

劇場の客が通るところしか知らないのも境界を知覚する要素だと思う。「まさかあの百貨店は地下六階まであるのか!」みたいな裏側を見ることができない感じ。楽屋とかそういう演者の領域があることを知ってはいるが、どこにあるかがわからない。見る側が入れない空間があるというのが少し神聖な感じ。

 



 

演者と客の距離が近いと何が起こるのかというと「こっちを見ている!」と錯覚してしまうときが何度も訪れる。狭い空間で少人数が見ているという場の特性が余計にその思いを駆り立てる。多分、こっちを見てはいるけども私を見ているわけではないだろう。ただ、客席に向かって芝居をしているときや、最後のあいさつでバチンッと目が合うと「うわっ」となるのがすごかった。カラーレンズのメガネを掛けていなかったら思わず下を向いたかもしれない。次も絶対かけていく。

 

好きな俳優がいれば、その人が出る作品をなんとなく追っかけるのも面白い。私はショーケース形式という、複数の劇団が短編を演じるのを見て「この人いいな」という感じで、興味を持ち始めました。

 

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