「思ったよりも」という言い方を、安直な褒め言葉として良く使ってしまう。それに、何かを手に入れるときの理由も大抵そんなものだ。
タミヤのキャンパスフレンズセットⅡの原付に乗る彼女は、そういう「思ったよりも」な存在だった。なぜこんなにも原付に寄りかかる彼女は絵になるのだろうか。大学生というには幼すぎる顔つきや髪型に、彼氏のもののような、古着のようなワックスドコットンのジャケットのアンバランスさ。
オシャレ2年目くらいだろうかと思わせる、洋服の頭数が揃っていない感じが妙にリアルというか、私服の高校に通っていた頃の”あの感じ”を思い出させる。
そう言った見た目に懐かしさを覚える理由は、私の個人的な経験が交わっているからであり、まさに主観的なものだ。では客観的な事実という意味ではどうだろう。
キット内容を改めて見返してみると、彼女以外の学生は歩いていたり、スマホを掲げていたりと何かの最中である。まるで時が止まったような美しさだが「10分そのままで」と言われると割と厳しいものがある。パーカーを着て立っている彼女も大丈夫だと思うけど。
それにしても明らかにリラックスして、座っている原付の女子大生はそのポーズゆえに異なる存在感を出しているとも言える。
「座っているフィギュア」というものが欲しい時期があった。それは、自分が暮らす生活空間に腰を下ろして、リラックスしている感じにナチュラルな生命力を覚え、魅力を感じたからだ。
説得力のあるシワと体重のかかり方で、ゆるやかに存在感を主張する、原付によりかかる彼女。私にとっては戦争よりも少し近い、日常とファンタジーの境目のような存在だ。とにかく「座っている」というのはプラモデルを含むフィギュアにおいて、生活に馴染んでしまう力が強い。そのせいで、もっと他の格好をしたフィギュア達も強引に入り込んできてしまいそうだけど。
それはそれとして、こういった「いつか見たかもしれない日常」が寄りかかっているというポーズと結びつくことでとんでもない雰囲気を放っているということは、書いておきたいなと思い、書きました。
-今日の物販-