Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

ネクロムンダで遊んでいる様子の写真をあげながら、ゲームの楽しさを少し書く。

定期的にウォーハンマーストアで遊ぶようにしている。

 

 

酒を飲まない人間なのでこういう風に、特定の場に入り浸るというのは結構珍しい。プレイ中ってゲームに関わる話をしながら親交が深まるので、共通の話題が用意された社交の場という見方もできなくもない。

 

 

遊んでいるときに写真を撮るのだけど、あんまりアップロードしていないのでブログにいくつかアップロードすることにした。ミニチュアを寄りで撮って臨場感に想いを馳せるのも面白い。手が写り込んでいるのも遊んでいる様子がわかるので結構好き。

 

 

ネクロムンダはいちいち判定するゲームなのと、他のゲームを遊んでいる人が「リロールがないのがネクロムンダ」と話していたので、勝った負けたにダイスの影響がでかいのかもしれない。そして私はかなりダイス運が悪く、ドアは開かないし、これが決まれば勝ち!みたいな場面で良い思いをしたことは少ない。

 

 

ただ勝ち負けを主として遊んでいるわけではないので「大事なところで外す」というのは会話の一要素になるよな……とも思って今日もハープーンランチャーをぶっ放し、相手を引きずります。これが楽しいんだ本当に。良いカメラで撮ると結構楽しいので、カメラ買うと良いです。俺は三年くらい前にSONYのRX100 M4をヨドバシカメラの型落ちコーナーで入手したのを使っています。

 

 

今日の物販

 

 

 

 

 

3月に作ったという理由だけで集められた模型たち

 

 



 

忙しさにも種類があるそうで、初旬は考えることばかりだったので帰宅するとゴロゴロしてしまうことが多かった。それ以降の実行に移すフェーズになると、なぜ仕事のために体力を消費しているのかと馬鹿らしくなり、俺の体力を返せと言わんばかりに模型製作に取り組んだ感じがある。

 

「忙しくてしばらくネクロムンダを遊べない」といつも遊んでくれる方に連絡すると「しばらくストアへ来られないのであれば編成を考えていただいて、次会うときは1250pt編成で遊びましょう!」と返事をくれた。こういった形で、取り組む理由を与えてくれたのがとても嬉しくて、そのままに両手にナイフを持ったギャングを作ったのが3月最初の完成品だった。

 

 

それと、海洋堂のグローサーフントを時間を見て3体すべて完成させることができた。箱の中にプラスチックの色が違うとはいえ同じものが3つも入っているプラモデルなので「絶対に全部は作らないだろう」と思っていたが、どれも組み立てと塗装を終了することができた。これは、説明書の出来の良さに尽きる。あとは、ハセガワの1/20スケールのものよりもパーツ点数が抑えられているところも良いところだと思う。

 

マシーネンクリーガーのプラモデルは、元々はいろいろなプラモデルのパーツを組み合わせて作られたものなので、素直に再現すると切ったり貼ったりして組み合わせる工程をなぞることになる。そこを追体験的な設計ではなく、プラモデルっぽいパーツ分けをしているところが好きだ。

 

 

今月最も面白かったのはマイクロエース オーナーズクラブ 1/32 パブリカだ。このシリーズはパーツの形を整えたり、接着しづらいものをなんとか取り付けたりと大変なところがある。それは昔のプラモデルだから仕方がないのだけど、手で粘土をこねるような感じが最後まで続くのがしんどいときがあった。最後まで続く理由は窓枠で、筆で塗るのときにはすっかりそういうアナログ的なプラモデル製作に疲れ切っていたり飽きているなんてこともある。

 

それを「ボディを全部シルバーに塗れば窓枠の塗装は最後にならないぞ!」と気づいたときの楽しさといったらない。オーナーズクラブは確かに古いプラモデルだが、作り方はいつだって新しくなる可能性を秘めているのだ。そして、それを思いつくのは自分たちの特権なんだなというワクワク感が最高だった。

 

 

3月は年度末ということもあり模型に触れる時間が少なかったし、来期はだいぶ面倒なことになりそうなので、果たしてどうなることやら。という感じですが、とりあえず今はネクロムンダのVansaarギャングの1000pt編成を作りたいです。来月の完成品にはずらっと並ぶと気分がいいだろうな。

 

今週の物販

 

 

 

 

 

演劇わからないけど蛇ヲ産ムはすごかったし、俺は屋代氏の作品が好きなのだろう

 

推しである沈ゆうこさんが始終ステージにいた。この満足感は私にとっては相当なものだが、それとは違い、それぞれのストーリーを重ね合わせるように、自由に話をつなげて行く役割を果たしているのがとてもよかった。最初の観劇の注意からシームレスに本編に入って行く感じは話の練り方の巧みさだと思った。そういう入り(あと、終わり)も含めて漫画でいうコマ割りやストーリーを構成する立場としての語り手を沈ゆうこさんが演じていた。

 

そう、3月17日に沈ゆうこさんが所属する、日本のラジオの演劇「蛇ヲ産ム」を新宿眼科画廊に見に行ったのだ。

 

 

「蛇ヲ産ム」は町の因習に基づく色々な出来事を断片的な現象として描き、それらが徐々に重なって行くことで「あれ、これってもしかして……?」という気づきを観る側に与えるようなストーリーの演劇だ。

 

気づけば気づくほど、こちらとしては気持ちが追い詰められる。その不快感で胸がいっぱいになる頃に、昔流行った唄を大声で歌う女性二人のシーンは「待ってくれ……!」と言いたくなるほどだった。「不快な気持ちなる」「怖くなる」という、脚本の仕掛けにまんまと乗せられたことにふと気づくと、酔っ払ったような気持ちよさも同時に感じた。

 

私の少ない観劇歴で多くを占める劇団が日本のラジオだ。屋代秀樹氏が作る脚本が好きなんだと思う。こっちを見るでもなく、現象を見させられているような感じは、どこか他人事を眺めているような気持ちになる。ただ、こちらに訴えかけてこない距離感にリアルさを感じる。SNSでは「これ、面白いよ!」と奇跡の瞬間や面白いものがこちらに訴えかけてきてうっとおしいけど、日常では当事者ではない出来事の方がほとんどだ。演劇は演じる側と見る側は分けられていると思うけど、その一線を、こうやってはっきりと見せてくることに、ぞわぞわする(だからこそ、語り手のいろいろな領域をまたいで行く感じが際立つのだけど)。

 

 

特に面白いなと思ったのは、椅子の配置がトリガーになって場面転換が行われるところだ。椅子が装置になるのかという驚きと、ミニマムな仕掛けで話がどんどん展開される様子は、きれいだと思ったし研ぎ澄まされていると思った。確かに日常では椅子が多い。あと、見終わった後に、椅子の位置を整頓してから屋代さんが開演前の挨拶をしていたことを思い出して、偶然だと思うが本編とのシンクロを感じてふふっと笑ってしまった。

 

そういえば、入場時点で「奥側にも席があります」みたいな表示があって、好奇心につられる形で奥へ行ったのだ。舞台を挟むような形で客席が配置されていて、始まってすぐに「こういうことか!」と面食らった。作る側がどのように見てもらうかをコントロールできるのは小劇場演劇の魅力だと思う。「自分が続編を作る!」と息巻いたトム・クルーズだって、TOHOシネマの予告編を流すことを中止することはできないのだから。

 

全員が魅力的だったのは確かだけども、金髪の神藤さやか氏が私の目にはとても個性的に映った。なんというか、危ない感じだけど、まとも、みたいな。この土地で生きる覚悟がある感じ。そのせいか妙に見ちゃうなこの人……と思っていた。

 

 

演劇周りの物事ではフライヤーやパンフレットのメインビジュアルが田中一光というか日宣美っぽい感じがあってとても良かった。日本のクラシカルなデザインスタイルというか。Kindle 読み放題にいくつか上がっている屋代秀樹氏の脚本のメインビジュアルをみる限り、同一の人が作っているのだろうか。フライヤーの作品集が欲しい。

 

今日の物販