Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

異なるオイルレザーを履くことは、こういうこと。

もう3ヶ月位履いていると思ったがそうでもないらしい。2ヶ月位だった。

そんなに変わらないか。

全体的に柔らかくなるように製法、底材、甲革と選んだのと羽根の大きさが手伝って履きやすさのフィーリングが合うので出番が多い。きっとそのせいもあってずっと履いている感覚を覚え、長い間履いているような気分になるのだろう。

 

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TEMPESTI社のエルバマットのオリーブとMPG社のニューヨークのブラウンでコンビシューズをお願いしたがどちらもオイルドレザーと呼ばれる素材だ。

特徴は、なんだろうな。素朴な風合いが持ち味。一言で言えばこれだろう。

もう少し付け加えると一般的な皮革よりも油分が多い革ということになるだろうか。

引っ張ったり曲げたり内側から指で押すと油分が移動して色が薄くなるのが特徴で、履いていると先程書いたとおりで素朴な風合いが生まれる。艶がキラッとしすぎず、しっとりとした様子が優しく、好きな革の種類。「鳥の中でも文鳥が好きだ」と言っても、その中に幾つかの種類があるようにオイルドレザーも触った感じだとか色の出方だとかでなんとなく雰囲気が分かれる。

 

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エルバマットの方が柔らかい感じがして、しっとり。艶はふんわり。ニューヨークの方は比べると少し固め(それでも柔らかいが)。艶もバリっと出る。エルバマットが柔らかいせいもあって、硬そうに見えこの茶色は板チョコみたいな雰囲気。甘い。良い。

 

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経年変化で色の濃淡が部分部分で出てきてシワや小キズなども楽しくなる靴なので、こういった革と頻繁に履く靴は相性がとても良い。「ダラダラ履く」という言葉を綺麗にできる才能が自分にはないな。と思ったのでそのまま使うが、そういったリラックス、脱力の奥の奥にある本当のゆるい感じを上手く拾ってくれる。「自然体」とか言おうかと思ったけど、もうきっと今はこういった言葉はどれもその楽な感じを本当に表す言葉ではなくなっている気もするので、やっぱり難しい。

もちろんだからといって大きいサイズで作るとか、そういうことをしてはせっかくの設計が無駄になるのでジャストサイズでその感じを味わってみても良いかもしれない。

 

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制作事例は見ていて楽しい

www.delightfultool.com

 

チャッカブーツを何処かで作ろうと思うんだけどどこにしようか悩んでいる。

越冬、パターンオーダージャケット

真冬でもコートを着たくない日というのがその季節中何度かある。

めんどくさいとか、重たいとか、もう春だ!と自分で割り切りたいときとか。

もっと気にしてみると私の場合は体の殆どの部分を重苦しい布に包まれるのが重苦しい気分になり、着たくないと感じることが多いことがわかる。

特に連日それが続くとその気持ちはどんどん大きくなる。

 

各々が何かしらの対策を講じているかあるいは冬は着込むのが楽しいとかそういう前向きな気持を持っていることだと思うが(そう、私は雨も嫌いだ)、なにか良い手はないかと考えていたらお客さんが

 

「ああ、それね。わかるよ。僕はジャケットの裏地をキルティングにしたのを一着持ってるよ」

 

と教えてくれた。え!そんなことできるの。

というわけで早速いつも作ってもらっているところで相談したら「やったことはないが、ある」という回答でそれならやりましょうと提案し、そうですね。と向こうも快諾してくれたので作ることにした。

遊び、というか試しにという感じなので生地はそんなに高くなくそれでいて程よく派手なもの。

 

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あったかさを重視するためにダブルに。

 

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重なる部分が温かい。

裏地のキルティングは色があったような気がするがとりあえず黒で。

 

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ボタンは焼きボタン。カッサカサな感じが乾燥した冬にあってますね。

 

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肝心の暖かさだけれども「あ、暖かいな」と思うくらいには暖かい。

暑くはない。人によっては寒いかも。背中が特に暖かさを感じる。

これで中にセーターでも着てマフラーを巻けば行ける気がする。

明日、トライしてみます。

勉強が好きかもしれないと自覚できる日は

なかなか「勉強が好きだ」と気づきにくい環境ってあるよな。と最近ふと思った。

 

学校で勉強していればガリ勉野郎と言われたり、こうやって書いている大人になった今だって意識高い系と言われるのは嫌だなと思ったりすることはよくある。

他人の目が気になる。それに尽きる。

仕事に関わる本や、例えば質問するのは苦手だからとそれをカバーできるような本を読もうとかそういう足りない部分を見つけて補おうとすることだって

「本なんか読んじゃって」

なんて思われていないか気になる。そういう話につきる。

 

しかし、こういった環境はいつからあるんだろうか。

よくある「テスト勉強を全然していない、でも実はしてました」なんてのもそう。

じゃあ、勉強するのダサいみたいな風潮にまかせて勉強から自ら遠ざかるのか。

まぁ遠ざかるよな。自分はたまたまお酒も飲めないし旅行も運動も興味が無いしうまいものが食べたいとかそういうのもほとんどないからそういったものを「みんながやってるからやろうかな」なんて思わなくてそっちには流れなかったけど「勉強が好きかもしれない」って気づくまではネット見たり買い物に出かけたりとかそんなことばっかりしてた。もちろんそれらについても知識が積み重なったり上達の喜びがあるのは知ってる。

でも、それとは違うお勉強的なもので学ぶことが楽しいとか好きだとかっていつ気づくんだろうか、それで良いんだっていつ自分を認められるのかっていうのはとても気になる。

 

俺は絵の練習をしているときに「ああ、これは絵の本を読まないとダメだな」と初心者向けの本を読んで、大変だけど面白いなと続けてその後にまた本を買って……ってときになんとなく気づいてその後にお金に関わる本を読んだときに「なんとなく難しいと思っていた本を読めた」という感覚が面白くてまた何冊か買って……ってやってるときに「あ、俺勉強好きだわ」って気づいて好きならもっと続くかと思いながら最近も本を読んでいる。

 

最初の方にも書いたけどこうやって書いていても「スポーツだって勉強ですよ」とか「お酒だって食べ物だって極めるためには勉強が必要ですよ」なんて声が聞こえてくる。そんなことは重々承知だ。それなら服だって靴だって勉強だし、こうやって文章を書くことだって勉強だ。でも、そういうことじゃない。

 

人生のいつ、どこで「勉強するのがダサい」みたいな話はなくなるのだろう。

 

なんて周りのせいにしたりいちいち考えるよりも「自分はこれでいいんだ」って信じられるようになる方が良いですよね。好きだったり楽しいって思えるならやってるとそうなれる。良いですよね。勉強。仕事が早くなったりすると働き方に余裕が出ますし。

あ、でも本で勉強するのが一番!みたいなのは違うと思ってるのでその辺のバランス感は個々でとってるんだろうなとも思います。

自信がついたりするので筋トレ的な側面はあるかもしれないですね。