Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

ボックスアートと筆ムラ

「俺だって説明書通りに作れる」と思いながら、比較的そうしやすい飛行機模型、ハセガワの1/72ヘルキャットを作ることにした。最大の難所はコックピット周りの窓を切り抜くという作業。カッターとニッパーで打ち抜いた。繊細のやろうと思えばできるのだろうけど1000円するかしないかのものにどこまで繊細でいられるのかと同じくらい、どこまで大胆でいられるのかを考えた結果の作業だった。

 

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手順はカッターでなんとなく線を入れる、ニッパーが入る上下を切る。残りの一辺をカッターで切るという作業。ある程度薄くなっているのがせめてもの救いか。

このとき、一瞬「やらなくてもいいか」と思ったけど先に行った大胆さが結果的に勝ることになり窓枠は開けられた。成果はまぁまぁ。クリアパーツは問題なく入るので良しとしよう。

 

動機は「大胆でいてもいい」というのと冒頭の「説明書通りに作ってみよう」の2つで、そのまま作業は進む。珍しくコックピットを指定色に近い色で塗ったり、そういうことをしながら「俺だってできる」と思いながらの進行。そのまま形になり、メインの筆塗りに入る。

 

筆塗りは今も苦手な作業の一つだが、新しいナイロン毛のものを試したところ筆跡のコントロールがしやすく、心地よかった。柔らかな獣毛は手の力を模型にダイレクトに伝える力がある一方、ふわふわしているせいかどれくらいのパワーで筆をコントロールしているのかがわからず、とにかくソフトにソフトにという運用をしていたが、ナイロン毛は少し反発力、戻ろうとする力(よく言われるコシというやつはこれだろう)があり、自分がどう行った形状の面をどのように塗っているのかが都度都度フィードバックされる感覚があったので力の強弱を操れる良さがあるように感じる。

 

その分、筆跡は残りやすく感じるが、実際には塗料との相性もあるのでわからない。ある程度統制された筆跡を残して仕上げていくのか、ふわふわふわっと綺麗に仕上げつつところどころに筆跡を残すのを仕方ないとするのかは好み。今回は、ナイロン毛がビタッと自分の手にハマったという感覚。

 

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それが面白くて、一番最後に残しておいた主翼ジーパンのように斜めの筆跡で塗ってみると、力強くも繊細な筆跡が見られたのが面白くて、そのまま残すことにした。面白半分で斜めに塗ったのは、その後に横と縦に塗るつもりだったからなのでこれを残すかどうかは実際はかなり迷った。筆との相性が良かったので重ね塗りをして今まで以上に綺麗に仕上げる自信もあった。

 

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最後の判断材料は、ボックスアートだった。

 

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和田先生が書いたヘルキャットは重さを感じさせる見た目ながらも軽やかに空を飛び、とても綺麗だった。私は、それを見て箱の側面や説明書に写っているお手本のような完成見本よりも、この絵のような重いものが飛んでいる軽やかさを手にしたいと思い、翼をこのままにすることにした。

 

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バラと、バケツ一杯のドラマ 1/35 ハノマークD型 シュッツェンパンツァー

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バケツが余ってました。最初は荷台につもうかなと思ったのですが突如、銃を持たせるのが嫌になり、バケツを持たせたのです。

 

ミリタリー系の模型を作っているときに指す嫌気は、大抵こういうもので突然、戦の様子を作っていることにうんざりするという現象が起きます。じゃあ作るなよ、という話ですが人とマシンのドラマに惚れて「このキットだったら何かワクワクさせてくれるかも」と購入するときの自分と、いざ作り出して最後のイチゴを乗せる作業をしている自分というのは随分違うようで、それはまるで今日はシチューにしようとスーパーマーケットに入ったのに出るときには肉野菜炒めの食材を買っているのと同じようなものだと思います。食事の場合では「全てを返品してカレーの食材を買い直す」なんてことはめったに無いでしょう。

 

模型も実際そんなものだと思います。「なんか違うな」と思ったあとの軌道修正は、すごろくのマスを戻るような感じではなく、正に軌道修正と言った形で進行しながら「思っている今」と「描いている未来」をつなげようとします。

 

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そんなときにほっと一息、一杯の温かいお茶のように存在したのが今回は2つのバケツだったというわけです。

 

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幸いにも私たちは無限の世界を感じ解釈する力があり、中でもこういった不確定な存在にはとりわけそういう力が働きます。白黒の漫画のキャラクターの髪の色や、紙面から聞こえもしない声なんかは特にそうですね。自分の良いように解釈されます。

 

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剣を鋤に、いや銃をバケツに替えられてしまった兵士たちは何かを奪いに行く存在から与えに行く存在に変わってしまいました。

 

当初、食料を調達しようとするメンバーだと思いましたが、バラをそばに置いてみたら水をやりに行く集団に役割を改めてしまったようでとても面白いものになったと思います。「バラに水をやりに行く人たち」と名付けました。他には消防士にも見えなくもないですね。真っ赤に塗ってみてはどうかなとか、思っています。

いずれにしても攻撃性はだいぶ薄れてしまいました。ただ切って貼って持ち物を変えただけなのに!(そうですね。これはきっと「演出」と呼ばれる作業の一つです)

 

今回の遊び方は、まさに「遊び方」だと思っていて、結果的に非常にユーモラスな風景が生まれたことも含めて気に入っています。また、誰かが(主に作った人間が )題名をつけてしまえば大抵はそう見えてしまうという点も面白いですね。

 

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果たして塗装して仕上げていった先に、この世界が見えていたのか?とか、先ほど書いたように真っ赤にしてみたらどうか。あるいは「はい、これが平和な様子ですよ」とバラに水をやっている牧歌的な世界観を作り手の腕前で誇張していき、より「現実にありそうな感じにしていくのか」など、模型の遊び方や見せ方というのは私が思っているよりとても幅広いようだと感じています。

 

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組み立てとデカール

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駄菓子屋で模型が売っていた時代があったと聞く。

残念ながら俺はそれを知らないが、もしそれが本当だったら、模型をただ切って貼って、デカールを貼るという遊びは割と普通だと思う。普通というか、普通以上にありふれていたのではないかと思う。

 

その完成の仕方は、箱の中に入っているものをフルに使ったものだから、当たり前なんじゃないかなーっていうのがその根拠で、ただそれが記録として残っていないというか、失われた遊び方みたいな感じになっている面はあると思う。当たり前のように合わせ目を消して当たり前のように色を塗る、汚す。まぁ、当たり前っすよね。シャツにネクタイ締めてスーツを着ることを「スーツを着る」と言ってしまっているような感じ。

 

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ただまぁ模型はそういう意味だと、ファッションと同じでフォーマルもカジュアルもあるのかそもそもフォーマルもカジュアルもないのかネクタイを締めなくても「ノータイなんで」って言えるようなでっかい広場みたいなものだよなと思うんだけど、逆に言えば「スーツを着る」ところだけが広場として認められているような、なんて良い方は少し極論にすぎるか。

ま、とりあえずめちゃくちゃ楽しくていろんな遊び方ができるはずなのに一つの遊び方だけが異様に栄えているような感じ。

 

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ただ、さっきの駄菓子屋の話みたいに「そうでない時代」とか「それだけじゃない遊びが観測された時代」があったらしいというのが私の今の実感。あとは、コンテスト志向なのか、カジュアル志向なのかとかまぁ分けようと思うと結構分けられると思う。私の話はそういう意味だとコンテスト志向の人には全然刺さらなくて当然(ただし、そこに明確な分けと分析はないので、私含む模型を楽しむ人は自分がどのような役割を振る舞えば良いのかがわからずにブレッブレになったりすると思う。これは模型界にまだそういうプレイデザインやカスタマージャーニー的なものが根付いてないからか、わかりにくいからだと思われる。反面、だからこそ難易度が高いキットを初心者が触ったり、楽なキットを上手な人がすごく上手に作るみたいな、柵の飛び越えは容易)。

 

そんな実感をベースに失われた遊びっぽい、箱の中のものだけで遊ぶ、組み立ててデカールを貼るというプロセスは割と好きな遊び方である。理由は2つ。一つは塗装が苦手だから。もう一つ、これは寄藤文平さんという素晴らしいイラストレーターが「絵と言葉の一研究」という著書に書いていた「水素と酸素が組み合わさると水になるように、絵と文も組み合わさると、絵と文ではない別の何かになる」という話がよく分かるから。組み立てたものはプラの塊。デカールを貼ると、なにか違うものになる。個人的にはこの状態が一番プラモデルっぽいなって思う。

 

色を塗ってデカールを貼ってと完璧に仕上げきると、今度は模型だなって思う。

 

失われた遊びっぽい切って貼って貼る遊びはいかにもプラモっぽくて、都合よく目と脳(と手)がいろんなことを補完して見た目にも満足できるというのが私の感想です。

 

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これはかなり、主観的な見え方に頼る遊び方だけど、水素と酸素のような単純な結合が容易に観測できるので誰にでもおすすめができます。

 

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絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える
 

 

 

デザインの仕事

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