Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

都合の良い見え方の集大成

よく模型の人形の目の話をする。

 

タミヤのミリタリーミニチュアをはじめとした1/35や1/48のものを土台に話すことが多く、大体の論調としては「目、特に黒目は点、円ではない(上下が欠ける)」という話から、目をよく観察する必要があることと、スケールモデル程度の大きさの人の目は現実にはどう見えるのか?ということを書く。試しに1/35サイズの兵士の背の高さに見える程度の遠くの人間の顔を見ると、顔はどう見えるのか。など。

 

そんな事実を叩きつけたくなるときと、反対側で「モデラーとして目は描きたくなるもの」という気持ちもよくわかる(そこには模型誌などで実際に見事な目を描いている人がいるという「事実」もある)ので、柔らかく話すときがある。

 

ただ、そこにあるのは目をどう観察するのか?という視点の問題で、目を描きたいから点を打つのと、観察して何かを得ながら実物へ迫ろうというのは随分と違うように思える。これは塗装における筆塗りの話と同じで、何かに近づこうとする場合と単にその種目にエントリーするだけかは違うということでもある。

 

似たような話で、模型のパーツそれぞれの位置決めの話もする。これは自分も耳が痛い話で、戦車なんかは転輪の傾き具合を揃えた方がカッコいいと思ってもなかなか揃わない。タミヤの1/35 R35でついに完璧に揃えられたと思ったら履帯を巻きつけるタイミングで見事にズレてしまい、それに気づかないまま最後まで進み、写真に撮ったときにそれに気づくという始末。作ってる途中は完璧に揃っていると思っていたのに、いつそうなったのだろう。

 

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などと考えると人の目のいかに都合の良いことか、というのがよくわかる。目が自分の見たいように解釈して、正確には見たものを頭が勝手に取捨選択してしまっているようで本当に困る。それが先に進みたい、次のページをめくりたいという気持ちと交差して、目は点になるし転輪はズレる。

 

完成すれば「終わってみれば全てが良い思い出」といった形で全てが終わりへ向かい、心には反省点は残るもののやはり見えないところは見えないまま。私は昨日、会心の出来の飛行機にわずかに指紋の跡を見つけたが、それが完成したのは春のことなので気づくまでに3ヶ月かかっている。

 

いつまで経っても模型を見たいようにしか見られず、そのまま進む。そういう意味だと写真に撮ることは一つの気づきにはなるが、それでも気づけない部分が3ヶ月後に指紋として見つかる。

 

模型を本当の意味で格好よく作れているのだろうか。「個人の楽しみ方はそれぞれ」とはいうものの、カッコ悪いものは作りたくないというのも事実であろう。本当の意味でのカッコよさを形作る術を私は知りたい。

 

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ブレる筆塗り

筆塗りは筆と塗料を使うのでアーティスティックな作業のように思えるが、それと同じくらいメカニカルな作業であるようだ。

 

今日は時計を見に行った後に模型を作ったのでこういったことに気づけたのだけども、その実、筆塗りは機械式時計の「日差何秒」みたいなブレを感じやすい作業だと思う。そして、機械式時計を組み立てるようにそのブレをどこまで無くしていけるか?という遊びでもある。何もかもを筆塗りの風合としてしまうことはこの「日差何秒」がかなりズレた状態を放置してしまうことに等しい。

 

具体的には「混ぜる」「薄める」「塗る」の過程で結構わかりやすくブレが生じる。混ざってない、濃い、薄い、量が多過ぎる少な過ぎる……。など。

このブレを限りなくゼロに無くしていくにはメカニカルな動きが求められるというわけだ。いつでもよく混ざり、適切な濃度の塗料を適切な量で塗る……といった具合にそれぞれの工程の誤差を減らせば自ずと筆塗りは再現性を持ち、ミスも減り、綺麗に塗れるというわけだ。

 

各工程を洗練させる方法は様々で、これはゴルフクラブの選択に近いように思える。好みの14本をバッグに挿してラウンドするわけだが、このチョイスが難しい(が楽しいところなのかもしれない)。

塗料には種類があり、筆にも種類がある。また、リターダーなど添加するものもあったりするのでそれぞれと自分の相性を試すことになる。塗料はニオイのせいもあり住環境に依存する部分があるが、筆は選び放題だ。個人的には獣毛と化繊で大まかに分けて、その2つの相性を試すと良いと思う。私は最近、平筆はナイロンを使うようになった。

 

リターダーなどのサポートアイテムは、最初から使っても良いが、私が初めて色を塗るときにこれを薦められたら素直に買ったかどうかというと難しい。昨日使って、私もその性能に驚いたが、これは求める仕上がりがはっきりしてきたり、今の作業環境に不満を覚えたら使うものでもあると思う。

 

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最後に厄介だなと私が思っていることを書く。それは、良い筆塗りの仕上がりというのがいまいちわからないところだ。これは冒頭書いた時計の話と少し重なっていて、時計は機械式よりもクォーツの方が精度は上になるわけなのだけど、では機械式が無くなるのかというとそうはならない。また、機械式だから精度が劣っていて良いという話も聞かない。それぞれに試行錯誤の方向性は違えど誤差を限りなく減らすという観点はキープされたままである。

 

筆塗りで「やっぱりエアブラシやスプレーの方が綺麗だな」と思うのはクォーツの方が精度が良いと話してることと同じで、やはりそういう意味だと「筆塗りは筆塗りの良さがある」と思わせるものに出会う機会が少ない。

 

良い仕上がりという理想を持っている限り、筆塗りはエキサイティングな遊びであり動的な均衡を探る模型の楽しみ方の一つであり続けるだろう。

 

未確認模型物体

どの模型もそうだが、特に飛行機模型は見たことのないものを作っている気がする。雰囲気で飛行機を組み立てていると言っても過言ではない。

 

ここにあるのは、もしかすると恐竜の化石を見るような感覚であったり、あるいは水族館で見る魚たちが実際に泳いでいる海ではなく水槽で暮らしている様に近いと思う。出来る限り近いものを見て、本物を想像するという行為だ。

 

さらに注目したいのは私たちは大概の模型は「その模型の完成品」をこの目で見ないまま作る。パッケージアートや説明書に完成品の写真が使われていることはあるが、一定の角度からしか見られず、知りたいところを知れなかったりするので、これはこれで完成品をしっかりと見られているかというと難しい。

 

そんなわけで、実際のところ私たちは雰囲気で模型を作って説明書の最後まで走り切り、パーツがさっぱりなくなったところで完成とする場合がほとんどだ(もちろん、完成後に全体のパーツの水平垂直や継ぎ目をチェックすることはあると思うが)。

 

こうして出来上がるものはやはり冒頭に書いたような、化石や魚のような本物に限りなく近しい何か。より正確に言えば近しい何かに近しい何か。ということになり又聞きの存在とも言える。

それに色を変えるだとかディテールを追加するとかという解釈が加わり、答えが出て完成品として部屋にあるということになる。

 

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こうして見ると、私たちは模型をその完成形を確認することなく作り、もちろん確認するものがないまま終わりに向かう。ただ、手元には完成品はある。これはモデラーとしては非常に無意識的に行われる作業だ。この組み立て方であってるのか、この部品の角度が合っているのか。しかもそれは実機と合っているのか、模型の完成品と合っているのか?もし両者が違ったらどっちを取るのかなんてことを考えると作る手も止まってしまいそうだ(大概は実機を取りそうだが)。

 

もし「ボディと翼の間に隙間ができるのは模型のせいではなく、自分のせいかもしれない」などと思い出すとプラ板を差し込む手すらも、それが何を意味するのかと悩んでしまうのではなかろうか。私も幾度となく苦しんだ「根本的に組み立て技術に問題や間違いがある可能性」と向き合うのは少し辛いものがあるし、「金型の歪み」という診断結果に処方される「追加工作」はいつだって効果的だ。

 

それぞれの瞬間の裏にあるのは美意識であったり、模型というプロダクトに対する接し方だと思う。

 

 私たちは(実機、模型の完成品の2点という観点から)見たことのないものを、見たことがあるかのように作る。 それがどういうわけか組み上がり完成する。

 

ここにあるのは、おそらく完成品を買わずにわざわざ人が作ることの面白さだと思う。

その瞬間と解釈の連なりの記録は、まだ少ない。

 

この記事を書くにあたったきっかけ

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