Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

塗装日記 2021 9/4〜9/18

f:id:nero_smith:20210918234028j:plain

 

私の友達が以前「コンサバファッションといってもコンサバの中に流行り廃りがある」みたいな話をしていて確かにそうだなと思ったことがある。言葉はある範囲を規定することがあるが、それゆえにその奥が見えなくなることがあるなと感じた出来事だった。私のプラモデル生活においてそれに近しいものは「塗装」であった。

塗装は今も苦手だが、先のコンサバのように考えてみると「広範囲の塗装が苦手」ということがわかったし、あとはなぜ俺は塗装が苦手なのかを考えてみると

 

・そもそも準備をすることが面倒

・言われた通りに塗料を溶剤で希釈しても上手くいかないことが多い

・乾燥に時間がかかる

 

ということが嫌だった。

 

そんな風に苦手意識の根本をたどってみると、これはもう単純に「向いていない」と言いたくもなるところだが、今あげたことが全部存在しない塗装があるとしたらどうなるかというのは考えてもみなかった。

 

そこで、ファレホの登場だ。タミヤアクリルでできなくもないのだけどもっとストレスをなくしたい、比較されがちなシタデルカラーは確かに塗りやすいけど独特のメソッドを把握するのが障害になった。もっと自由に塗りたいというか、こちらがやりたいことと、メソッドの相性が悪いのか頭の中に引っかかる感じがある。

その点私にとってファレホは相性が良かったのだと思う。実際、さっき書いた面倒なことが全部なくなってしまうと「こうしたら、こうなる」と俯瞰した感じで塗装を取り組めるようになった。

 

f:id:nero_smith:20210918233930j:plain

 

まずは教わった通りにやる。これは初めてにしてはとても上手く言った。

 

f:id:nero_smith:20210918233921j:plain

 

次は、最初のステップの色を変えてみる。取り組み自体は面白かったが、服を全体的に緑で塗ってしまったので「ついつい思い込みで緑に塗ってしまうな……」と反省。全体的に色がまとまりすぎていて、自分のつまらなさに嫌になる。

ただ、塗装の出来はかなり良く「塗る」という技術的な面では問題がなさそう。

 

f:id:nero_smith:20210918233939j:plain

 

思い込みから脱出したくて、無理やり極端に振ってみる。昔からこういう”大げさな失敗”を意図的に起こすことでどこまでいけるかを探ったり、思考の振れ幅を大きくしようとする。ただし、今回は仕掛けあり。光と陰の考え方にコンプレックスハーモニーという配色方法を取り入れてる。デザインの専門学校にいた頃から好きな配色テクニックだが、案の定不可思議な仕上がり。

顔色が悪いのも配色に引きずられた感じで、いい意味で失敗していて良い。

あえて極端な色分けと色がまとまらないようにしたし、不自然な配色を使ったので「これをコントロールすれば次はうまくいくな」という確信あり。

 

f:id:nero_smith:20210918233912j:plain

 

今朝方作ったものはうまく言った。

狙い通りにうまく言った感がある。色の選び方も思い込みからは脱せられて、肌の色なんかは特に全体の様子に気を配った感じで「肌は肌色でしょ」というわけでもなく、極端すぎずという感じでチューニングがうまく言っている。

 

こうして塗装をしているとわかるのは私が「上手いな」と思うものは細かな書き込みや精緻な情報が詰まって本物らしく見える方向性よりは、何かこう、世界観みたいなものをコントロールしているものだということだ。そしてそれは習得するというよりは既に持っているものを表出するといった感じで、肌は肌色で、軍服は沈んだグリーンであるといった類の思い込みから解放される必要があり、自分で音程を作りながら小節の上でラップするような面白さがあるということに気づいた。

それにしてもわざと失敗を起こそうとするのは意図的ではあるが、効果的ではある(「脳の右側で描け」の最序盤、思い込みから自身を解放するために逆さまの肖像画を描き写す課題があるが、正位置でそうするよりもとても綺麗にできる。ただ、今も私はそこまで絵は上手くない)。

 

この世界は「上手くなる」というとついつい写実的で精密な表現に寄ってしまう。道具だってそういう風に作られているものが多い。なので表層的な「上手くなった」はそういうことだし、「下手だな」というのも何を指しているのかは明らかだ。

 

ただ、自分が本当に欲しいものを得るために必要なのは、どうにもそういうことだけではなさそうな部分がある。「俺はこういうものが欲しい」と思えたり、気づけるのであれば、下手なままでも上手くなってもどっちでもいい気がするし、実のところ上手い下手なんていう言葉のない世界に居られるのかもしれない。

 

欲しいという願いが、完成品をより良くすることを果たして「上手くなった」と言うか、言われるかは別として(というか多くの人が元々上手いのかもしれなくて、何かが障害になっているのかもしれず、それこそ”逆さまの肖像画”のようなものがプラモデルの世界にもあればと思う)。

 

今日の物販

 

 

 

 

あ、あとAmazonで見つからなかったけどアーマーモデリングの2020年1月号が今見るととても良いです。

 

6本の弦が鳴っているだけ

f:id:nero_smith:20210915211423j:plain

 

最近はプラモが上手い。上手くなっているなと自分でも思う。

 

「伸びている」というやつだ。ただ、それを見て「俺は下手なままだな」と思う人がいたりすると結構しんどい。とはいうものの、本当に上手くなったかどうかについてとか、上手くなる意味、そもそも上手いってなんだろうか、みたいなことを考える機会だと思える部分があるので、まだ大丈夫だ。正直な話、上手くならなくていいと思っている部分もある。俺は欲しいものが欲しいだけで、気に障る言い方かもしれないけど「欲しいという気持ち」にやりたいことがついてくるという楽しみ方をしてるんだと思う。

 

フィギュアの塗装に関してはどこかで触れたが、あるレベルまでは手続き的な部分が多い。今やっている塗装方法も教えてもらったことをやっているだけでそこには私の手段における創造性みたいなものはほぼ無い。ただ、その手続きを守っているのに同じものが仕上がらないのがフィギュア塗装の面白さだと思う。教えてもらってから4体塗ってわかったことは「これは塗る人によって仕上がりのイメージが確実にバラける良い趣味だな」というものだった。正解がないのだ。

 

f:id:nero_smith:20210915211429j:plain

 

それと、このジャンルは本当に上手い人というのは本当に上手くて、これはどうにも超えられそうにない感じがする。では、と思って上だけ見ていた視点を下ろしてみると今度はそれはそれで、真ん中あたりの「これならできそうだし、真似したいな」といった仕上がりのものがなかなか出てこない。それでは、と思って本を手に入れたり誰かに聞いてみたりすると、少しだけ活路が見えてくる。概要だけいうと手続きが載っていて、それをどう守っていくかということがカギになる。その割に、さっきいった通りで「それぞれの正解」が頭の中にあるので仕上がりに幅が出る。

 

これが面白いし、真ん中あたりの仕上がりというのがあんまりネットでは出回ってないような気がするので、軽い気持ちで発表してみると「なんだか上手く見える」という面がありそうだ。

 

f:id:nero_smith:20210915211436j:plain

 

塗っていると「こんなに上手く仕上がるのか」という驚きと、「どうやっても上手くいかない」という二つの感情が巻き起こる。既存の色合いに囚われて下地の青や赤がまるで隠れてしまったつまらないカーキの軍服、明暗のコントラストの弱いぼんやりとした仕上がり。抜け出すことができず、いつまで経ってもうすだいだい色の周辺をうろちょろするだけの肌の色。教わったことをやっているのになんでこうなる。全然違うじゃないか。

 

果たしてこれが上手いと言えるものなのか、上手くなったと言えるものなのか。

 

高校時代、友達が「あれはギターを弾いてるのではなくて6本の弦から音が出ているだけ」と何かの折に言っていたことがある。俺は今はそんなものだと思う。

 

そしてこのドイツ兵は、まだ背中の荷物とか制服のボタンを塗っていない。

 

今日の物販

 

 

 

 

 

夏休みの宿題 タミヤ 1/35ドイツ歩兵セット(大戦中期)

 

f:id:nero_smith:20210908225811j:plain

プラモデルを始めてTwitterのアカウントもそういう方向にシフトしはじめた頃に「ああ、この人には勝てないな」と思った人がいて、その人にだけは割と早い段階で白旗を揚げた。

 

他の人とはどうなのか?といわれると、勝負しているわけではないし喧嘩をふっかけるわけでもないけど「この人はここがうまいな」と思ったりするのと同じくらい「ここは俺の方がうまいな」とか「これは何故こうなっているのか?俺ならこうするな」みたいなことを考えたりする対象として見ていた。というか人(?)というより作品というかなんだろうな。ネット上で見る完成品はいつだって完成品だし、それを通じてその人に興味が湧くまでは完成品だけを見ていると思うので、人を見ていたというわけではない気もする。

 

f:id:nero_smith:20210908225824j:plain

 

そんな感じで頭が上がらないモデラーが数人いるのだけど、その中の一人に塗装を教わることになった。その人とは数年前に一度会っていて、確かそのときも「他の人には”ここは俺の方がうまい”って思うところがあるけど、あなたにはどれも勝てない」という話をしたし「私はまだ自身がそういう高いところに登ろうとしていないところが良くないと思う」みたいな話をした。タミヤの1/35 ドイツ歩兵(大戦中期)の一人を教材にした塗装教室で教わった内容は、非常に整理された根本的な話を2つ、あとはハイライトの入れ方や影の考え方というシンプルなもので非常に驚いた。そして、こうやって積み重ねた経験が知識としてまとめられたものを、いまこの瞬間聞いているということに面白さを覚えた(なので、何を教わったのかは書かない。言うまでもないけど)。

 

それを聞いて「ああ、そういうことか」と思いながら頭の中で理解したことを話すと、返事が返ってきて自分の中に知識が溜まる感覚が面白かった。ハイライトを入れる部分のいくつかを「服と肌が離れている部分」という風に話したと思う。

 

f:id:nero_smith:20210908225833j:plain

 

その後はしばらく教材となったキットからは離れて、他のジャンルに手を出して「あー、なるほどね」なんて思いながら色々と作った。あの日を境にうまくなっていることはわかっていたし、何故うまくできているのかもわかっていた。そして、先日久しぶりに途中のドイツ兵に手をつけたのだけど、これは大層うまくいった。塗れば言っていたことがわかるし、見れば今まで見えていなかったものが見える。「顔ってこういう風に光が当たるよね」なんて考えたこともなかったし、しっかりとキメるところと色の雰囲気だけを纏わせるところの面白さがよくわかった。

 

視界が捉えたその世界が形になるというのは本当にすごい。

何がすごいって頭の中で考えているものが立体になることで、頭の中で出来上がっているそれは目を通じて得た経験が形作っているということだ。なんだかわからない雰囲気の良さをまとったドイツ兵は俺の頭の中での「こう見える」が形になったもの。欲しいものが自分の手で生み出されるというのは思ったよりも快感だった。

 

f:id:nero_smith:20210908225801j:plain

 

小さめなフィギュア塗装の楽しいところは、知った理論や考えの結果、自分が感じたものを「ほんの数センチに満たない面積でだけ」実践すれば良いところだと思う。広い面積を再現性の高い作業を繰り返さなくて良いというか。そこには確かに視力の世界もあるけども、それとは違う目で見たものをどう認識しているのかの面白さが詰まっている。

 

いつものプラモに飽きたなら、やってみるときっと楽しい。

 

今週の物販