Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

何度でもミリタリーミニチュア

 

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意識して色々なプラモデルを作ろうと思っていて、模型売り場をうろちょろすることも増えた。前はスケールモデル一辺倒っていう感じで他の売り場は見なかったけど、最近はキャラクターモデルも見るし買ってみようかなと思うこともあるし買うこともある。ポケプラとか、いいですよね。ただこれは仕方がないのだけどプラモデルの多くは私なんかよりも遥か下の世代がターゲットなのでパッケージがポップすぎたりして「俺はこれからこのプラモデルを作るんだぞ……」という気持ちにはなりにくかったりする。

 

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その点においてタミヤの1/35 ミリタリーミニチュアシリーズの白箱の清潔感と大人っぽいパッケージの美しさには本当に恐れ入る。買うときもプラモデルはプラモデルなんだけど「俺はこれからミニチュアを作るのだ」という気分になる。なんというか買わせようという見た目じゃないというか、そういう良さ。ドラッグストアで消費者の注目を集めるためにベタベタとシールを貼られた製品のように「買ってくれ!買ってくれ!」という声がしなくてそれがよくて、時計なんかでも「なんだかんだでロレックスだよね」と落ち着いてしまう感じというか。品がある普通のプロダクトというツラをしてプラモデル売り場に置いてある。

 

ただ、プラモデルという趣味は製品の価格そのものが安いのでロレックス的なものをポンっと買うことができる。そしてそれが多くのタミヤ製品のスケールモデルだ。約束されたパーツの精度、さらにミリタリーミニチュアに関して言えば情景を生み出すための人と乗り物の組み合わせ。私は最初は「プロダクトとしての乗り物」という観点で軍用車両を作ったが、いざ「完成」と思った後にクールダウン感覚でフィギュアを作って乗せてみたところ完璧な情景が生まれてしまい驚いたことがある。

 

その後ある程度塗装をするようになったり、海外製のキットに手を出したりとまさに「モデラー」といったような動きをしているが、どんなに塗装ができても難しいプラモデルが作れるようになっても、こうして無塗装のミリタリーミニチュアを作ると、組み立てる側が決して超えることのできない壁みたいなものを感じる。この余計なものが何もない状態で部屋にあるというのがかっこいいのだ。

 

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プラモデルは塗装しなくてはならないという気持ちもわかる。私も随分と作ったのでプラモデルを買うときに「これは何色に塗ろうかな」なんて思うときも増えた。ただ、そうやって「俺がこうしてやろう」と思えば思うほど、このかっこよさからは遠ざかるし、魅力には永遠に気づけない。気づけなくてもいいんだけど、気づけると楽しいと私は思う。私は何度でもミリタリーミニチュアを無塗装で作って楽しみたい。

 

今週の物販

 

 

 

 

 

タンポポ/KREVA feat. ZORNにnippperの未来を見る

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地続きで体験し続けているカルチャーの一つに日本のHIPHOPがある。中学生の頃にKICK THE CAN CREWやRIPSLYMEが売れたりしてHIPHOPは一気に、それこそただの中学生の俺にまで届くようなものになった。それに映画「凶気の桜」(見てないけど)なんかでアングラっぽかったりギャングスタラップっぽかったりするものも王様のブランチのコーナー内でのCDTVで流れたり、学校へ行こうB-RAPハイスクールみたいに面白さの装置として扱われたりと、そういう風にHIPHOPの幅みたいなのを味わったりしてきて、当時夢中になったMTVの影響などに包まれながら俺は今の今まで洋邦問わずHIPHOPが傍にある人生を過ごしている。

 


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9月8日、KREVAが突然ニューアルバムをリリースした。9月8(908、クレバ)日にちなんでということなので彼を知っているのであればなんてことないのだけど、それに収録されているのが、表題のたんぽぽという曲だ。この曲はシングルでリリースされた時になんとなく聞いていたけど、改めて聞くと「ああ、日本のHIPHOPというのは一周したのだな」と感慨深いものだった。というのもKREVAKICK THE CAN CREWとして三人で年末に点滴を打ちながら武道館からTBSまで行っていた全盛期には彼らにとっての「こうなりたい」というラッパーとしてのモデルがいなかったのかもしれないと気づいたからだ。

 

もちろん当時のKTCCの楽曲の歌詞には「プラダよりナイキ、グッチよりアディダス」というような感じでブランド名をあげながらサクセスストーリーを匂わせる世界観を描くものはいくつかあるが、実在するロールモデルはいなかったのではないか(もちろんレジェンドとしての様々なアーティストはいるが、当時の彼らほどテレビに出てチャートを賑わしたのかというとそうではなくあくまでもコミュニティ内での成功だったと思う)。ただ、たんぽぽを聞いてみるとどうだろうか。ZORNKREVAのように成功したいかはさておき、ZORNを受け止める側としてのKREVAという構造が成立していて、非常に驚いた。以前は、ラッパー同士のコラボというと仲間であったり、せいぜい先輩後輩程度の距離感で彼らの言葉を借りると”クルー”的なつながりというか、世代が近い感じがあった。ただ、たんぽぽでの二人の今のアーティストとしての立ち位置を考えると、現在ほとんどアングラへ関与をしないKREVAがメジャーシーンで切り拓いて築き上げた、コミュニティを超えたHIPHOPの居場所というのが確かにあるのである。

 

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そこでnippperのことを考えてみると、nippperは「よし、やろう」という感じで本人たちは「見切り発車」と時折いうものの、二人が何をやってきたのかを考えれば、スキルのある人がついに楽曲をリリースしたような感じに見えるし外へ外へと向かう推進力があると思う。

 

俺にはnippperがどうなるかはわからない。だから楽しみだし楽しい。よその文化には成功のロールモデルがある感じはするが、プラモデルに絞った場合は俺にはいまいち見えてはいない。ただ、原稿を定期的に提出しているし、掲載もされている。そのおかげで写真も上手くなったし文章も賞を取れるくらいには上手くなった。もちろん、プラモデル作りも。「手伝っている」と思うときもあるし、俺は俺で自分で「こう書いたらいいんじゃないか?」と考える部分ももちろんあるので異なる声として一翼を担っていると思うときもある。記事数も2人の次くらいには多いんじゃないか(癖のある記事がそれくらいの割合というのも怖いが)。

 

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表題のタンポポKREVA feat. ZORNを聞いているとコミュニティを超えて成功した人間が下の世代を受け止めるということの文化の芳醇さに驚かされる。プラモデルとHIPHOPは全然違うけどコミュニティを超えた成功が持つ文化の中での重要な役割というのがよくわかるのであった。5年後10年後何処かの誰かが「nippperで書いてるクリスチさんのように」といって勢いよくどこかに飛び出ることがあればいい気がするし、その頃にも俺は相変わらずプラモデルを作って文章を書いてるか、もっと大きな場所で何かを書いていればいい。

 

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いろんなプラモを多くの人が作って感じることがそれぞれ違うということがもっと明らかになって、車にも船にも戦車にも飛行機にも興味がない人がもっと自然に「あ、プラモデルを作ってみようかな」なんて思える日が来たらそれは楽しいことだと思う。

 

 

今日の物販

 

 

 

 

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塗装日記 2021 9/4〜9/18

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私の友達が以前「コンサバファッションといってもコンサバの中に流行り廃りがある」みたいな話をしていて確かにそうだなと思ったことがある。言葉はある範囲を規定することがあるが、それゆえにその奥が見えなくなることがあるなと感じた出来事だった。私のプラモデル生活においてそれに近しいものは「塗装」であった。

塗装は今も苦手だが、先のコンサバのように考えてみると「広範囲の塗装が苦手」ということがわかったし、あとはなぜ俺は塗装が苦手なのかを考えてみると

 

・そもそも準備をすることが面倒

・言われた通りに塗料を溶剤で希釈しても上手くいかないことが多い

・乾燥に時間がかかる

 

ということが嫌だった。

 

そんな風に苦手意識の根本をたどってみると、これはもう単純に「向いていない」と言いたくもなるところだが、今あげたことが全部存在しない塗装があるとしたらどうなるかというのは考えてもみなかった。

 

そこで、ファレホの登場だ。タミヤアクリルでできなくもないのだけどもっとストレスをなくしたい、比較されがちなシタデルカラーは確かに塗りやすいけど独特のメソッドを把握するのが障害になった。もっと自由に塗りたいというか、こちらがやりたいことと、メソッドの相性が悪いのか頭の中に引っかかる感じがある。

その点私にとってファレホは相性が良かったのだと思う。実際、さっき書いた面倒なことが全部なくなってしまうと「こうしたら、こうなる」と俯瞰した感じで塗装を取り組めるようになった。

 

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まずは教わった通りにやる。これは初めてにしてはとても上手く言った。

 

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次は、最初のステップの色を変えてみる。取り組み自体は面白かったが、服を全体的に緑で塗ってしまったので「ついつい思い込みで緑に塗ってしまうな……」と反省。全体的に色がまとまりすぎていて、自分のつまらなさに嫌になる。

ただ、塗装の出来はかなり良く「塗る」という技術的な面では問題がなさそう。

 

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思い込みから脱出したくて、無理やり極端に振ってみる。昔からこういう”大げさな失敗”を意図的に起こすことでどこまでいけるかを探ったり、思考の振れ幅を大きくしようとする。ただし、今回は仕掛けあり。光と陰の考え方にコンプレックスハーモニーという配色方法を取り入れてる。デザインの専門学校にいた頃から好きな配色テクニックだが、案の定不可思議な仕上がり。

顔色が悪いのも配色に引きずられた感じで、いい意味で失敗していて良い。

あえて極端な色分けと色がまとまらないようにしたし、不自然な配色を使ったので「これをコントロールすれば次はうまくいくな」という確信あり。

 

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今朝方作ったものはうまく言った。

狙い通りにうまく言った感がある。色の選び方も思い込みからは脱せられて、肌の色なんかは特に全体の様子に気を配った感じで「肌は肌色でしょ」というわけでもなく、極端すぎずという感じでチューニングがうまく言っている。

 

こうして塗装をしているとわかるのは私が「上手いな」と思うものは細かな書き込みや精緻な情報が詰まって本物らしく見える方向性よりは、何かこう、世界観みたいなものをコントロールしているものだということだ。そしてそれは習得するというよりは既に持っているものを表出するといった感じで、肌は肌色で、軍服は沈んだグリーンであるといった類の思い込みから解放される必要があり、自分で音程を作りながら小節の上でラップするような面白さがあるということに気づいた。

それにしてもわざと失敗を起こそうとするのは意図的ではあるが、効果的ではある(「脳の右側で描け」の最序盤、思い込みから自身を解放するために逆さまの肖像画を描き写す課題があるが、正位置でそうするよりもとても綺麗にできる。ただ、今も私はそこまで絵は上手くない)。

 

この世界は「上手くなる」というとついつい写実的で精密な表現に寄ってしまう。道具だってそういう風に作られているものが多い。なので表層的な「上手くなった」はそういうことだし、「下手だな」というのも何を指しているのかは明らかだ。

 

ただ、自分が本当に欲しいものを得るために必要なのは、どうにもそういうことだけではなさそうな部分がある。「俺はこういうものが欲しい」と思えたり、気づけるのであれば、下手なままでも上手くなってもどっちでもいい気がするし、実のところ上手い下手なんていう言葉のない世界に居られるのかもしれない。

 

欲しいという願いが、完成品をより良くすることを果たして「上手くなった」と言うか、言われるかは別として(というか多くの人が元々上手いのかもしれなくて、何かが障害になっているのかもしれず、それこそ”逆さまの肖像画”のようなものがプラモデルの世界にもあればと思う)。

 

今日の物販

 

 

 

 

あ、あとAmazonで見つからなかったけどアーマーモデリングの2020年1月号が今見るととても良いです。