Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

いろんな人にプラモを読み解かれたい-現代将棋を読み解く7つの理論を読んで-

 

「現代将棋を読み解く7つの理論」という将棋の本を読んでいる。なお、将棋は弱い。

 

将棋界を題材としたものは羽生善治の著書や村山聖について書かれた漫画などを読んだりしている。勝負の世界に身を置く人たちの話に触れられるという意味で、結構好きだ。

 

では、肝心の将棋を打つという行為に関していうと、私は冒頭に書いた通りで弱い。理由は明らかで駒の動かし方や、駒組みに関しては大体わかるものの、中盤の動きが全くわからないのだ。それゆえ負けてしまう。なので、将棋にハマることはなくぼんやりと彼らの世界を遠巻きに眺めることになってしまっている。

 

 

「現代将棋を読み解く7つの理論」は現代将棋のトレンドをわかりやすく解説している。

 

これは将棋の強い弱いと理解度が関係しているというよりは、スポーツやカードゲームなどの戦略・戦術に対する理解があると将棋がよくわからなくても、今の将棋界で何が起きているかがわかるという感じ。

 

そのトレンドが勝敗を分けているということになるのだけど、では「個々の場面で何が起きているのか」というのは、これはやっぱり将棋がわからないとなかなか理解ができない。それは終局後の将棋盤を見て「どちらが勝ったのかがわからない」だとか「状況を再現するための棋譜通りに打ってみたが、ターニングポイントがわからない」みたいな、素人目にはわからないことがたくさんある。

 

 

終局後の将棋盤を見ても「何がどうなって、この結果になったのか」がわからない。これはプラモデルの完成品も同様ではないか。

 

そして、棋譜に近しいものとして説明書があるのかもしれない。説明書も、わからないといえばわからないだろう。プラモデルには「説明書を見てパーツを探して、該当するものをニッパーで切る」という行為がある。これだって、初めてプラモデルを作る人にとっては、将棋の初手の7六歩に等しいほどの「聞けば納得するがわからないもの」な可能性がある。

 

勝つための戦法があり、上手くなるためのハウトゥがある。どちらも「なぜそれをやるのか」がわかってくると使いどころもわかるし、効果もよく出る。それにトレンドもある。プラモデルは勝ち負けはつかないが、何かを行なった結果が形として残っている点が似ている。野球やサッカーのスコアと違う、決着がついた形が目に見えるというわけだ。

 

 

どちらも「実際にそれに集中している人間はめちゃくちゃ楽しい」という特徴があって、その界隈だからわかる文脈というのがある。

 

「何がどうなったのかわからんがすごい!」というのは確かにすごいのだけど、そこに至るまでの面白さを読んだり、見たりして実際に取り組むのは結構楽しい。そういう意味では「現代将棋を読み解く7つの理論」は個々の戦術を深く読み解くというよりは、対局を通してどういう戦術、振る舞いを取ることが重要視されているのかを書いているのが好印象だった。

 

プラモデルもそういう、トレンドみたいなのがわかると結構楽しいと思う。とはいうものの、塗り方やジオラマ作成のトレンドとして「今」を知ることができても、過去と現在みたいな形で連なるように見れなかったりするのは少し寂しい。そして塗装一つに関しても「今」って一体なんなのだろうと思ったりもする。

 

今週の物販

Kindle unlimited対象です)

 

"そのアメリカ"を成り立たせるもの/AMT 1/25 1963 Chevy II Nova Station Wagon

 

私がCHEVY NOVA WAGONのプラモデルを買ったのはアメリカのミニカー「Hot Wheels」でその見た目に惚れたからだ。

子供のころは、車という文化に触れることはほぼなく、セダンやクーペをメーカー名だと思っていたし、VOLVOBMWフォルクスワーゲンはいまだに混同する。30歳を超えて最初に特定の車を認識したのは、以前勤めていた会社のそばにあるスーパーに毎朝停車していた生花を納品するスズキのジムニーだった。

 

もし、子供のころにHot WheelsのCHEVY NOVA WAGONを手に入れたら、きっと、今のように形に惚れこんだに違いない。そして父親に言うだろう「もっと大きいサイズのものが欲しい」。

 

 

それを聞いた父親は、私がめったにものをねだることをしないので真剣に考えるはずだ。そして、一計を案じる。「プラモデルを買い与えてみたらどうだろうか」と。こうして、パラレルワールドの私の手元にはプラモデルがやってくる。

 

現実の私はというと、4歳の頃に肺炎で入院し、そのとき同室だった年上の男の子がプラモデルを作っているのを遠くからながめていたそうだ。それを見て父親が私にプラモデルを買い与えることで「今の世界線の私」はプラモデルとの出会いを果たす。

 

 

どちらにしても出会ってしまい、手元に存在することになっている1/25のCHEVY NOVA WAGON ステーションワゴン1963 は、箱の厚さや深さに舶来の雰囲気を感じる。中身を開けてみれば、これまた厚みだとか密度を感じるゴロっとしたプラスチックだ。それでいて、繊細なディテールが同居する。


「果たしてこれは、大雑把そうな印象を受ける質感と繊細なディテールという対立項が両立していると考えていいのだろうか」

 

そんなことを考えていたが、実際のところはビンテージクロージングの世界でも明らかなように、アメリカで作られるものは意外にも「大雑把さと繊細さの両立」を平然とやってのけるのではという気がしてきた。

 

 

ワークウェアのタフさの象徴である、リベット打ちや、トリプルステッチなども丁寧な仕事がなければ強度そのものを確保できない。ホワイツブーツに見られる”ホワイツ式ステッチダウン”と呼ばれる、ブーツのウェルトを二周走る特徴的な仕上がりも同様だ。

 

どちらの分野も物理的な厚みがあり、重い素材が使われる。そういうわかりやすい強さがある。なんならそれらを縫い合わせる糸ですら太いのではないかとすら思う。こうして考えてみると、タフさとは「大雑把に強そうな素材」と「繊細な仕事」が掛け合わされて成果物に現れている。つまり「素材と仕事」と分けた場合に「大雑把さと繊細さ」は対立しない。

 

そういった意味ではこの、1/25のCHEVY NOVA WAGON ステーションワゴン1963というプラモデルが放つ「なんか分厚そうなプラスチック」と「なんか繊細なディテール」は、アメリカのものづくりを端的に表しているような気がする。時間のあるときに、作ろうかなと思います。

 

 

 

暮らしの彩りがにじみ出るプラモデルに会いたい

 

昨日、海鮮丼を盛り付けた。イカとブリ。それに海藻とネギを乗せた。そのとき「どう配置すれば良いのだろう」とかなり悩んだ。

無計画にイカを置く。すると、米の白と同化してしまい、すぐに「これはマズイ」という感情が生まれた。感情の正体は「白と白で溶け合ってしまっている」というものだった。それは、プラモデルの塗装が起因しているということを一瞬で自覚した。

 

 

「つまり、この白×白の状態を打破した方が良いということだな」

 

そう頭の中で口にすると途端にブリは赤とピンクに、海藻は緑色になった。ブリをイカの横に置くと、思った通りに白と赤のコンビネーションが美しくなったし、米とイカの白の色味や質感の違いが明確になった。

 

海藻は、イカの隣に置いた。赤と緑が補色でトーンが近しいため、セパレーションというテクニックが必要だったからだ。間に白を置くことで達成されるその手法はイカによって形になった。最後にパラパラとまぶした万能ネギは、それぞれの色や質感を美しく引き立てるのに十分だった。

 

 

初めての盛り付けはこうしてうまくいった。盛り付けにおける、私のチートスキルは、プラモデルで覚えた塗装だったというわけだ。

 

プラモデルを作りながら、私自身でもすでに気づいていることがある。それは、異世界転生した主人公のように妙なスキルを身につけているということだ。ファッション全般とその中でも革靴での経験がそうで、塗装の仕上がりや奥行きの様子を観察する点において何らかの影響を与えていると思う。

 

反対に、盛り付けが上手い人は塗装が上手いかもしれない。メイクが上手い人は、写真が上手い人は……と見た目に関わる華やかな要素ばかりが先に浮かぶ。ただ、このように考えていると、調べ物が得意な人や、なにか数字を取り扱うことに長けた人たちは様々な客観的な知見を集めながら華やかな作品を作るのだと思う。

 

 

そういえば、このタミヤの1/35ドイツ歩兵(大戦中期)を教材に塗装を教えてくれた方に直接「完成品の世界観の原因は何か?」と訪ねたことがある。

 

彼はしばらくして「映画かな」と話していた。私は映画を見ることがほとんどないので、彼とは違う。そういう意味では私は彼と違って革靴が好きなので、それぞれの世界を作り出す要素は「何とも思わない日々の楽しみや暮らしを彩る何か」なのではないかと感じている。

 

そういったものがにじみ出るように作られるプラモデルがたくさん見られる世界を、私は今も、これからもずっと待っている。

 

今週の物販