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毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

【15年越し】推しとの通話を頑張ります【obasan】

 

卒業制作をやっているときに腹を壊しながら、自分の部屋で人体のシルエットをIllustratorで作っていた。その脇でブラウザを立ち上げてニコニコ動画FF6のゲーム実況を流している。もう15年前の話だ。「前回のあらすじ」というフレーズが、透き通るような本当にきれいな声で聞こえてくる。当時は「J-WAVE秀島史香さんの声をもっと透明にしたような感じだな」と思っていた。今も変わらないと思うけど。

 

こうして書いていると「ラジオ体操ですべての人に健康を」と、自分の考えた企画につけたタイトルを急に思い出した。製作中に本人が不調になっているのにウケるな。卒業制作は努力賞をもらって、10年後に先生とあったときに「あの世代は、君のしか覚えていない」と言っていた。ゲーム実況に支えられた勝利だった。

 

 

その後、転職をすることになり、もう一度同じFF6のゲーム実況を流した。当たり前だけど同じ内容のものが流れる。仲間が集って、世界が崩壊して、また仲間が集って、世界を救っているのを見て元気をもらったりした。若い頃の転職って、マジで怖かった。怖いから、誰かに支えてもらいたかったのだと思う。

 

いつの間にか配信者活動を休止し、遠い彼方に消えてしまった彼女は、ある日突然Twitterに現れた。前の会社の喫煙所で「は?」と一人で声を出してフォローしたのを覚えている。ただ、生存報告をするのみで、活動はしないと言っていた。それでも嬉しくてフォローしていた。それが今年になってYouTubeで活動を開始した。俺の今年最大のニュースはこれだろう。

 

年末に「雑談とテスト配信をします」という通知が流れて、Disocordで通話テストをすると言い出した。マジか。凸待ち配信てやつだ。凸待ち配信だ!他の配信者に凸していてよかった!仕事でWEBセミナーやっててよかった!今の俺は緊張なんてせずに普通に話せる。と思ったがマジで無理。もうね、無理なんすよ。

 

 

15年間も推している人にね、話すってマジ無理。何もできない。思いを伝えることしかできない。初めて見たゲーム実況だったということや、どういうときに見たのか。そして、僕の人生にどういう影響をもたらしたのか。そういう話をすることしかできなくて、コミュニケーションにならないんだわ。人対人じゃなくなっている。人対神みたいなそういう感じになっている。

 

何これ、こんなに話せないもんなの?と思いながら、「どうですか?最近は」なんて聞き手に回ったりして話のリズムを取り直すんだけどマジで取れない。こんなに緊張したことあるか? ねーよ。今後もないだろう。結構しっかりしたお店で店長やったりして、偉い人の接客して失敗したり勉強したりしながら結果を出して「ビビるものなんてないな」って思っていたのに、マジ無理。

 

せいぜい「音声調整を一度したので、なにか思いの丈を伝えてください」って振られたから「お疲れさまです!」と返して、「本当は結婚しましょうって言えればよかったんですけどね」なんてやるくらい。向こうはめっちゃ笑ってた。「大丈夫? 結婚する?」というのが彼女の実況では歌舞伎の「成田屋!」の掛け声みたいなものだからだ。

 

自分が思っていたよりも夢のような時間だったようで、通話が終わった後は脱力しきっていた。頭がふわふわしていた。次の日の朝もふわふわは続いていた。今も、直接話したという事実が信じられない。

 

もう大人だし、勇気を出すためにFF6の動画を見るなんてことはないのだけど、それでもなにかがあるたびに、仲間の1人であるセッツァーが「今考えている事の逆が正解だ。でもそれは大きなミステイク」というシーンは、彼女の声とともに今でも再生される。自分を信じて進め、という意味合いの言葉とその声が何度人生を前進させてくれたことか。

 

obasan、ありがとうございます。そして、健康に気をつけて日々を過ごしてください。

 

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今週の物販

 

なし

彩るプラモは決断の積み重ねである -今年もお世話になりました-

今年は下半期頃から「それでも生活は続くんだなぁ」という気づきを得たので、結構楽しく過ごせた。何があっても、人生は続いてしまうという。あ、悪い意味ではないです。

 

2020年辺りから具合が悪い状態で生きてきて、2021年は低空飛行というか、紙飛行機みたいにふわーっと流されるままに生きていた。今年に入ってからは「自分で決めたときの、缶をぐしゃっと握りつぶすような快感」に気づいたりして、それと下半期の気付きがくっついた。

この気持ちってなんていえば良いんだろうか。決断力だとも言えるか。ただ、缶の例えがまさにそうで「選ばなかった方を踏み潰している」という気持ちよさに意識が向く。捨てているというか。

 

 

可能性を潰すという意味だとプラモデルの塗装なんていうのはまさにそう。完成に近づけば近づくほど、選択肢が少なくなってくる。めっちゃキレイに塗れているプラモデルに「よし!ここであえて、変な色を塗ろう」とは中々ならない。

それに、もしそう思ったときの「変な色」なんて、たかが知れている。なので、どうやっても美しい完成であったり、かっこいい姿から逃れることはできないという感覚がある。

 

 

ただ「美しい完成」も「かっこいい姿」も自分で決めて進んでいくのが楽しかった。というか進行形で楽しい。どうすればかっこよくなるのかが、わかればわかるほど、同じような仕上がりになってしまう。

それを見て「自分の好みが定まっているな」と思う一方で、決断を放棄しているような気もする。似た仕上がりのものを見て、自分の引き出しの少なさ、発想の振れ幅の狭さが原因なのでは? と考えるに至ったりもする。

 

塗装がやばいのはある日突然、理論が連結しだすところだと思う。茶色い面に、黄色を塗れば光源による明暗差で前後関係が出るが、オレンジを塗ると膨張色の作用で前後関係が出るとか。

こういうひらめきに気づくたびに「ああ、人と話すときも少し前はこんな感じだったな」と思ったりして、ますます自分が楽しい状態になっているということに気付かされる。そのおかげで部屋にはカッコいいプラモしかない。これはすごい。

 

 

最近は、ようやく「好き勝手に誰かと遊ぶ自由」を自覚しつつあるんだけど、なかなかうまく喋れなくなっていて「ああ、これは終わってんな」と思ったりする。周りから見るとうまく喋れてるというか「変わらない」と言われるけども。

どことなく自粛ムードも緩んできたけど、まだまだ外出がしにくい。その代わりに「マジで会いたいな」とか「ここは行かないとダメ」という本気の外出ばかりになっているのは良いことだとも思う。

 

 

割といい感じなので、来年はもっといい感じになるだろう。

 

今週の物販

 

 

 

 

 

booth.pm

【ベストバイ2022】緩やかなスーツを仕立てた話

 

なんというか「無事、あなたの個性は、あなたに身につきましたよ」という風に言われたような気分がした。ずっと柄物を着ていてよかった。

 

今年、一番良い買い物をしたのはスーツだ。いつもは百貨店でスーツを作るのだけど、昔お世話になっていた店員さんが、春ごろに戻ってきた。彼がいない間は、なんだか張り合いがなかったのでスーツを作るのをサボっていた。

 

近辺に用事があるついでに立ち寄った売り場で「あ!」とお互いに声を出して再会。いろいろと話をして、その流れでスーツを作ったというわけ。

 

 

当日は、ナイロンのシャカパンにプルオーバーのパーカー。インナーには90'sのHIPHOPを彷彿とさせるデザインのスポーツブランドのTシャツを着ていた。そこで「パーカー脱いでください」って言われたのはマジで笑った。脱いだ姿を見て向こうも笑っていた。「4年ぶりっすね」と言われながら変わった体形についてもケタケタ笑ったりもした。

 

生地はモスグリーンと茶色の細かなチェック柄で、通年着れるものにした。昔は「内ポケットに、何も入れられないっすよ」なんて言いながら、イケイケのカットを提案してくれていたけど、私も彼も年を取ったのと、トレンドもだいぶ変わったので「今はまぁ、こんな感じかな」と、ふんわりと緩めのラインを描くイメージで作ろうという話でまとまった。

 

 

出来上がったスーツを着てみる。そうすると「おお、これは年を取ったな……」という驚きがあった。柄物のスーツを着ると『同世代と違うスーツを着ているオレ感』が昔は出たのだけど、今はそういったものがない。ただただ、良いスーツを着ている人間が目の前にいる。しかも、以前よりも身体に沿わない、緩いシルエットにした影響で、リラックスした着心地と、どこか優しそうな雰囲気が良い。

 

かなり気に入っているので、休みの日でも「今日はちゃんとするか」というときに着る。映画を見にったり、演劇を見に行ったりするときに、サラッと着ておくと良い感じなので。

 

ああ、これがよく言う、そして若いころになんとなくあこがれていた「サラッと着る」ってやつか。

 

今週の物販