Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

彩るプラモは決断の積み重ねである -今年もお世話になりました-

今年は下半期頃から「それでも生活は続くんだなぁ」という気づきを得たので、結構楽しく過ごせた。何があっても、人生は続いてしまうという。あ、悪い意味ではないです。

 

2020年辺りから具合が悪い状態で生きてきて、2021年は低空飛行というか、紙飛行機みたいにふわーっと流されるままに生きていた。今年に入ってからは「自分で決めたときの、缶をぐしゃっと握りつぶすような快感」に気づいたりして、それと下半期の気付きがくっついた。

この気持ちってなんていえば良いんだろうか。決断力だとも言えるか。ただ、缶の例えがまさにそうで「選ばなかった方を踏み潰している」という気持ちよさに意識が向く。捨てているというか。

 

 

可能性を潰すという意味だとプラモデルの塗装なんていうのはまさにそう。完成に近づけば近づくほど、選択肢が少なくなってくる。めっちゃキレイに塗れているプラモデルに「よし!ここであえて、変な色を塗ろう」とは中々ならない。

それに、もしそう思ったときの「変な色」なんて、たかが知れている。なので、どうやっても美しい完成であったり、かっこいい姿から逃れることはできないという感覚がある。

 

 

ただ「美しい完成」も「かっこいい姿」も自分で決めて進んでいくのが楽しかった。というか進行形で楽しい。どうすればかっこよくなるのかが、わかればわかるほど、同じような仕上がりになってしまう。

それを見て「自分の好みが定まっているな」と思う一方で、決断を放棄しているような気もする。似た仕上がりのものを見て、自分の引き出しの少なさ、発想の振れ幅の狭さが原因なのでは? と考えるに至ったりもする。

 

塗装がやばいのはある日突然、理論が連結しだすところだと思う。茶色い面に、黄色を塗れば光源による明暗差で前後関係が出るが、オレンジを塗ると膨張色の作用で前後関係が出るとか。

こういうひらめきに気づくたびに「ああ、人と話すときも少し前はこんな感じだったな」と思ったりして、ますます自分が楽しい状態になっているということに気付かされる。そのおかげで部屋にはカッコいいプラモしかない。これはすごい。

 

 

最近は、ようやく「好き勝手に誰かと遊ぶ自由」を自覚しつつあるんだけど、なかなかうまく喋れなくなっていて「ああ、これは終わってんな」と思ったりする。周りから見るとうまく喋れてるというか「変わらない」と言われるけども。

どことなく自粛ムードも緩んできたけど、まだまだ外出がしにくい。その代わりに「マジで会いたいな」とか「ここは行かないとダメ」という本気の外出ばかりになっているのは良いことだとも思う。

 

 

割といい感じなので、来年はもっといい感じになるだろう。

 

今週の物販

 

 

 

 

 

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