Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

足の裏は覚えている

今の仕事はスーツで、前の仕事は私服。

どっちが楽だったかっていうと一見、私服なんだけどこうして働いてみるとスーツも楽。最大の違いは「スーツさえ着てれば良い」というような空気。これはサラリーマンが感じる共通認識なのだろうか。なので靴も「革靴を履いてれば良い」という話になり、その点で言えば私の持っている靴はどれも社内の誰よりも革靴である。

 

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先日、ふと何を思ったのかRED WINGのチャッカブーツをスラックス&シャツのクールビズスタイルに合わせることにした。この組み合わせはミリタリー的な感じでシャツに関しては水色のオフィサーシャツさながらのものを来たのだけどなかなか良かった。

 

見た目もそうだが、驚いたのは足の裏の感覚でRED WINGのチャッカブーツは前職の最後の方に買って、とても気に入ってたのでよく履いた。その頃の気持ちが足の裏を通じて身体全体に流れて来た。「あれ、この安心感は、前の会社にいたときの??」と身体が思い出したというわけだ。

 

現在は仕事に関して言えば割と楽で、ホワイト企業的なそれ(残業代が出るとか、残業代が出るとか)を味わってるんだけど、そこに馴染み切れてない自分みたいなのがいるのがネック。前の仕事は楽しかったけど給料は安いし残業代も出なかった。そうすると結果的に楽しくなくなるんだよな。「せめてあといくらがもらえれば」とはよく言ったもので。

 

けど、辞めてみると面白いものでパッと浮かぶ景色は楽しかったことだけである。そのあとしばらく思い出そうとするとすぐ辛いことが浮かぶのはあれだが、住めば都といった具合に、良い意味でも悪い意味でも馴染んでいたんだなと思う。

 

その良い部分だけが足の裏から靴を通じて身体へ流れる。履いたその日は驚くほど安心感を持って働けた。次の日は別の靴を流石に履いたけどそのまた次の日はもう一度履いた。やっぱりよかった。

 

最近は眠れない日みたいなのが少し減っていて、具体的な成果でいうと睡眠導入剤を飲む機会は無い。月初に病院で貰ったのに、今は全く飲んでいないということになる。まだ、深夜に一回起きるときはあるけど前みたいに2時間ごとに起きるというのは無い。

 

足の裏は覚えている。そして、革靴は長く履ける代物である。だからこそ起きた思わぬ出来事だった。

 

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これは名作

 

 

 

 

nippper 100万PV/月によせて

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私のブログは1ヶ月に1万程度読まれれば良い方で、そういう意味だとコミュニティFMみたいな規模だと思う。そんな私がその100倍の規模のnippperという模型メディアに寄稿させて頂いている。

 

文章は、多くの人に読んでもらえると気分が良い。文章に限らず自分が作ったものが誰かに褒められたり、共感を呼んだり、何かのきっかけになることは楽しい。まるで自分の声が、話したことが多くの人に届いたような感覚になる。そういう意味だと文学フリマで本を売ることはわかりやすいし、ブログのアクセス数も同じだ。

 

nippperに寄稿するというのは、なんていうか違うステージに立つようなことにも似ていると思う。規模のあるメディアに書くと、もちろん自分のブログよりも多くの人に見てもらえて反応もその分増えるんだけど、その反対側に「自分のブログでもこうであればな」と思ったりする自分もいる。

ただこの考えは少し間違ってる部分もあって、nippperは世界大会とか全国大会みたいなもので、やっぱりステージが違うのだ。そこに立つと全員がジョージ・クルーニーオーシャンズイレブンみたいな感じで他に書いている人がとにかく強い。

 

だからいつも以上に自分の力が試される。これは自分のメディアじゃなくてよそのメディアに書くことの良さだと思う。世界大会仕様の自分に言葉や視点がトランスフォームして少し違う文章が生まれて自分の知らない自分が出てくる。

 

周りと比べる必要なんてもちろんないんだけど、同じトラックを走るライバルみたいなもので、そこにあるのは自分を保つにしろ誰かの影響を受けるにしろ、誰かと同じところで文章を書くことの楽しさだと思う。そして、それが集まったときの力強さが眩しく何か新しいものが生まれ続ける予感がしてくる。

 

私はかつて幸服無限というフリーペーパーを大枚叩いて発行し続けていたが、そこにあったのは他人同士の人生が結びつく一つの星座だったと思う。私はそのときは星空を描く人であったが今は星の中の一つだ。他所のメディアに書くということは誰かの人生と交差するということだということが今、とても良くわかる。人の人生に自分が登場している感覚がある。私のブログやTwitterは知らなくてもnippperで私が書いた文章を読む人は沢山いる。

 

模型という星空で輝き、綺麗に彩る存在はもっとたくさんいても良い。仲間が増えたら、やっぱり楽しいし、たくさん楽しんだら自分の住処で自分の模型を作ったり、文章を書けば良い。

 

月100万PVという巨大なうねりのnippper、おめでとうございます。

 

nippper.com

 

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エモーショナルの前に立つ俺

Frontという日本の雑誌があった。これは対外宣伝誌と呼ばれるもので戦時中に発行された雑誌。

 

日本の軍事力などを世界各国に誇示するために作られたもので様々な国の言葉に翻訳されたりしたもので、検索すると誌面がバシバシ上がってくるのでぜひ見てもらいたいのだけど、デザインがとても優れている。現代でも通用しそうなパワフルなデザインはロシア構成主義に近く、その強い個性を一度見るだけで雰囲気にやられてしまうこともあると思う。誰が作っていたかなどを見てしまうともう愕然とし、膝を地面につけてしまいそうだ。木村伊兵衛

 

私はこの雑誌に存在を10年以上前に知ったのだけど、まだ覚えているのは正にガツンとやられてしまったからだ。

 

そしてそれを紹介してくれたデザイナーの話も覚えている。

 

「このカッコ良さと、戦時中に作られたということは分けて考えたい。なぜならこのカッコ良さに罪はないから」

 

模型を作るときに似たようなことを考えていたりする。「この好奇心を掻き立てられるフォルムには罪はない」と。もっというと「このカッコ良さの前には俺は無力だなー」とすら思う。

 

それほどまでに多くの戦闘機は空を飛ぶための叡智の結晶だし、面白い形をした戦車はそうであるだけでその模型を買う理由になってしまう。軍用車両なども、そのリアルな使われ方に惚れてしまう。その度に「カッコ良さに罪はない」という言葉を思い出し、買うことを肯定するし、従う様に箱を開け、組み立ててしまう。

さらに厄介なことに模型のほとんどが組み立てることが面白いのだ。作るたびに「わー面白いなこれ」という瞬間に何度も遭遇する。モチーフとなるものを設計した人と、模型を設計した人の何かが手にビリっと伝わってくる。

 

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その刺激を喰らいながら完成まで走る。そして出来上がりに満足したりもするし、反対にその戦いの姿を生々しく感じてしまい、せっかく出来上がったのに比較的早く捨てられたりもする。

 

ただわかっているのは作ってる間は取り憑かれたように作るということ。作ってるのか、それとも本当に取り憑かれてしまって作らされているのかは定かではないがとにかく、いつかは、何かを、組み立て始めてしまう。

 

今だって毎週末は模型を作る。これは外出できないからなんだけどそれにしても、作っていることには変わりがない。部屋にはまだ組み立てられていない飛行機模型がいくつか積んである。

 

7月のカレンダーを見れば、今週の土日はあれを作る。来週の連休にあれを作る。8月はツールドフランスに合わせて……と予定を組み立ててしまう。

 

その美しさやカッコ良さに罪はない。そしてその前に立つ俺はあまりにも無力で、だからこそ根っこのところにある歴史的なことに手を触れずに模型を作る。触れずというか知っているから「分けている」ということにしている。

 

俺も、本物を見たらしばらく模型が作れなくなるだろう。そこにあるのは歴史と模型をくっつけたり離したりしながら楽しく遊ぶ、知性や人が作ることの意味だ。

 

nostos.jp

 

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