Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

塗装日記10/2

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フィギュア塗装をずっとやっているし、ここ一ヶ月くらいで嘘みたいに上手くなっているけど、こんなのは成長期みたいなものでいずれ壁にぶつかるというか、一歩一歩の階段がきつくなってくる時期が来ると思う。が、毎日骨が音を立てて背が伸びるような感覚があるのでそれに乗らない手はない。伸びるときに伸ばさずいつ伸ばせば良いのだろうか。俺は塗装が苦手なんだ。

 

サイトウヒール氏が手がけるLOVE LOVE GARDENシリーズの女性フィギュアが好きで3体ほど所有している。この日はカンガルーガール”ジュリア”を塗装したけど、この世界って原型師と自分の相性みたいなのがあるんじゃないか。塗りやすいフィギュアとそうでないフィギュアがあって上手い人はそこもしっかり見ている感じがする。キット選択の段階で勝負が決すると言うか。果たして。

 

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結論から言うとこのシリーズのフィギュアと俺は相性がいいっぽい。少し肉厚な生地を再現したかのようなバキバキに入ったつなぎのシワだとか、硬さを感じる腕がアクセントをつけやすかった。フィギュアの面白いところは人間をモチーフにしながら原型師の人が良いと思う人体のバランスが形になるところと、ポーズの面白さだろう。作り手の味が濃い世界だ。

 

デザインの話で「椅子というのはデザインは多岐にわたるが少なくとも作った人が、座り心地にOKを出して世に出回っている」というものがあるが、レジンフィギュアは特にその傾向が強く感じられる。

 

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塗るたびに自分に呆れるのだけど、使える色の明暗の幅がものすごく狭い。1から10まで明るさの段階値があるとしたら私は3から7くらいまでの幅で明暗を表現しようとするので10と8くらいの差を7と6くらいの差で表現するし、5と5.5みたいなほとんど差がないものを使っていこうとするので色がどんどんまとまってきてしまう。

 

どうにも納得がいかないので手順を入れ替えて光が当たる部分を思いっきり明るくしたけどこれが上手く行った。ほぼ強制的に明暗の幅が広がる。逆に暗いところを思いっきり暗くするとどうなるのだろうか。服の色は知人がくれた朝焼けの写真をそのまま引っ張ってきた。髪の毛は知人の髪色が水色なのを思い出して水色に塗ったけど、最初に塗ったときはドラゴンボールのブルマの髪色になったのでめちゃくちゃ変な汗をかいた。

 

とはいうものの徐々に明るく塗り重ねていったら良い感じになったので、この辺の「うわっ」てなるくらいまでやると言うか、色空間のどこに自分が手を突っ込んだのかがわかるようになると良い感じっぽい。

 

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私が感じるフィギュア塗装の面白いところは思いもよらぬところで色の表現の幅が広がることだ。ある色をきっかけにそのまま世界観が作られる。それに、普段は思いつかないような色を使いやすいし、組み立ての手間も少ないので塗装に集中できる。増えた色の引き出しが、いずれ作る大好きな飛行機模型を綺麗にしてくれれば、いよいよ上手くなってきたなと言う感じで楽しい。

 

今週の物販

 

 

 

 

 

 

 

 

俺、楽しませる為、罠仕掛ける

 

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俺はコンテストに強いところがあって、専門学校のころは3回、社会人なってからも2回表彰を受けている。今回で3回目か。「自慢かよ」とか「すごいな」なんて思うかもしれないが、まぁ待ってほしい。


俺は最優秀賞みたいなのがいつも取れない。

理由は簡単で、そういう「最優秀賞っぽいもの」を作ることが出来ないのだ。何を言っているのかわからないと思うし、俺も賞をもらうたびに「やっぱりこうだよな」と思う程度の感覚なのでどう言えばよいのかわからないが、せっかくはてなインターネット文学賞の優秀賞をもらったのでこれを機に手の内をさらすというか、内なる自分にそうしてもらえることを願って、今から書いていこうと思う。

 

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今回に関して言えば賞を取りに行ったのは確かで、受賞できるかどうかはわからなかったけど「受賞できたとしても優秀賞までだな」というのはわかっていた。理由は簡単だ、序盤に審査員を少し刺激している。俺はこういうことをよくやってしまう。こうやってパッと振り向かせて、書いたものや作ったものを見てもらうような仕掛けを作る。そういえば、前の会社の昇進面接でも「結果の出ない部下をどう評価するのか?」みたいなことを聞かれたので

 

「アイドルにも、キレイじゃなくても、歌が上手くなくても、踊れなくても”アイドルが好きだ”と思って続けている人がいる。そういう人には数字には出ない固定ファンのようなものが付く」

 

みたいな話をして、一気にこっちのペースに持って行ったことがある。とりあえず「こいつ何言ってるんだ?」と思ってもらえれば良い。

 

こんな風に、雑木林に弓矢の罠を仕掛けたり、いきなり相手に煙球を投げ込むみたいなことをして、印象に残る存在になろうとする。これは狙ってやってると思うが、ほとんど意図的に出すことができない。書き終わった後に「あー、こういう構造になりましたか」と気づく程度。

 

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受賞した記事のユニークなところはそこだ。

「インターネットは様々なものが載っているのに、見る側がそういう規定をしている部分があると思う」とインターネットにおける文学を規定することを刺激して、そのまま「書く側はそれに迎合する必要はない」という話をしている(該当記事は「特定の誰かに向けて書くこと」を主題としているが、そもそも記事自体が審査員向けに書かれている)。

 

「じゃあ、何を書けばいいんだよ」と頭の中で反応したら、そのまま自身の体験をベースにした「俺はこういうことを書けばいいと思う」という文章に飲み込まれる。しかも今回はしっかりと上手くいった話を持っていたので自分としてもそれを引き合いに主張が書きやすかったのがよかった。

 

本当はそのまま行けばいいのに「文章なんてほとんどの人が真剣に書いたことがない」「携帯小説のシチュエーションが似てしまうように」と、ときおり信憑性のありそうな話題を散らして飽きないように読ませようとするし(ここでもやっぱり「インターネットにおける文学について刺激してると思う)、それに加えて「(俺は)書き方の提案をしている」とか「文学だよねと言われたら、文学だと思ってしまう。そこが難しい」とかなんとかいって、こっちから距離をとったり「お前の気持ちもわかるよ」みたいなことをやったりしていて、基本的にヒット&アウェイで、没入させないのだ。

 

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俺はこういう文章や、作品を作ってしまうし、そのたびに「こうなるんだよな」と思う。ずっとこのままかもしれないし、そのせいで文章を書くことで大きく名を成すみたいなことはできないのかもしれない。

 

作風といえばそうなのだけど、それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。ドラゴンボールの大猿のごとく、本人も良くわからないうちに出る必殺技がこれなのだ。

 

ただ、これだけは間違いないってことが一個あってそれは「賞をもらえるのはいつだって嬉しい」ということだ。どうもありがとうございます。

 

だって、書いたものが評価されているし、こういう俯瞰したような(あるいは斜に構えた)見方の文章が評価されるのは審査をされた多くの方の懐の深さに依るもので、そこに甘えたような文章でもあるのだから。

 

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こんな僻地みたいなブログでも見つけてもらって、脚光を浴びることができる。それ自体が本当に嬉しいんだよ俺は。

 

もう一度読んで、宣伝してくれても嬉しいです。

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今日は久しぶりにほしい物リストも開けます。

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誕生日

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9月26日は、俺の誕生日だった。

 

昨年は俺のことをよく知っている人ならご存じの通りでとんでもない出来事に巻き込まれてしまって、そこから人生の基盤は揺れに揺れ、結果的に多くのものを手放すことになった。ただでさえ少なかった血のつながりのある人と連絡を取ることはなくなり、自分が今住んでいるところを知っている人も、いつも髪を切ってくれる理容師の人と、中学校の友人とかそんなもの。とにかくあの日以来最悪な状態はずーっと続いてしまい、かなり困っていた。

 

そこからなんとか1年生活できていて、それは自分が獲得していったコミュニティの中の皆のおかげだと思う。画面上のやり取りでクスクス笑ったり、互いに興味関心を寄せるものを披露しあったりすることは俺の知的好奇心を満たしてくれたし、ある意味では残念だけど、それさえあればなんとか生きていけることがよく分かった。


その表れなのか今住んでいる部屋には布団もベッドもないし、自炊をする設備はあるものの行うことはほとんどなく、好奇心を満たすだけの部屋になっている。夏ごろに知り合った何人かにその話をしたら「え!?」と驚かれたり「今はそういう時期だからいずれベッドを買う日が来るから、そのままでいいんじゃない」なんて言われたりした。今は何が正解かはわからないけど、しっかりと自分が形になっていく感じがよくわかる。頭も冴えてるし、コンディションもだいぶマシになっている。

 

春頃に呼んだマンガに「人間には生きる仕組みが備わっている」というようなことが書いてあって「ああ、なるほどな」なんて思いながら生きていたけども、これは驚くほど正解で、どうにかして生きようとしてしまうようだ。辛い出来事自体は覚えていても、その感情は忘れるし、忘れられるように、いろいろな出来事を肯定的にとらえたりして目の前の景色の映りを塗り替える力が人間にはある。

 

正直な話、今年の誕生日は来なければいいと思っていた。
嫌な気持になるからだ。というか、来年も再来年も来なければいいと思っていた。一番うれしい日が一番最悪な日になってしまったのだから。ただ、今年はめちゃくちゃいろんな人に祝ってもらってびっくりした。祝ってもらえるってうれしい。嫌な気持ちもだいぶなくなった。それに賞もとった。賞といってもいろいろあるけど、自分で獲ろうと思ったものを獲れた。俺はまだ生きている。まだ大丈夫だ。
昨年の誕生日に贈られたプレゼントは神様のように部屋に保管してある(作ってくれという思いでくれた皆様、ごめんなさい)。

 

ここからは物販です