Re:11colors

だいたい木曜更新です。革靴、洋服、プラモデルなどものに触れて感じたことを書きます。文学フリマ東京に大体います。 お仕事お問い合わせは 4mens.shoes@gmail.com よろしくおねがいします。

模型は発見の遊び

一年くらい目覚めたようにプラモデルを作っているがその前にガンプラを作っていた頃と随分と取り巻く環境が変わり、これはまさに洋服好きたちが各々にそれぞれの主張を花火のように打ち上げたり、コレクションについてどれだけ話ができるのかなど、そういったことを楽しそうにしていたころに似ている(気がする)。

 

そう、以前よりも他人の作品を見る機会が多く、また製品について調べられるので、何かが明確になった。これが大きな違いだ。

 

この違いはトレーディングカードゲームマジック・ザ・ギャザリングのような現象も生み出している。どこで見たかは忘れたがインターネットが広まり、さらにSNSなどでの交流が活発になったことで「以前よりも環境の正解が見つかるスピードが早くなっている」そうだ。「環境」というのは定期的に新製品が発売されるトレーディングカードゲームでは流動的で、まさに環境なのである。その中で「これが良い」という選択肢が早く見つかるということ。これはパズルを解くスピードが上がったという面もあるが、「これでいいよね」と全体の総意が得られる感じもあるのではなかろうか。

 

 

交流がなんとなく生まれて互いに「コレがいい」「いや、コレがいい」という話をしてそこで何かが発生する。昔よりも明らかに、そういうそれぞれの模型の作り方が見えるようになってきている。ただ「環境」というほど芳醇なものはまだないし、これからもそうかもしてない。ただ、私はそこで「実物に沿うかどうか」という、リアル感を表現し続ける巨大な魚群を見ている。

 

そして、私はその遊び方にあまり興味関心がない。はっきり言ってしまうと怖いのでいわないけど。明確になったのは、自分の好みだ。調べて集めて抽出する。言葉にする。考える。

 

私はプラモデルを「面白いところは面倒と表裏の関係」で、そこに発見が隠されている遊びだと思っている。

 

道具を買うのは面倒だけど、その道具を正しく使った成功は「道具を正しく使うとうまくいく」という発見で、反対に面倒でピンセットではなく指でなんとかしようとすると今度は指の繊細さに驚く。意外とイケるぞ。と。そして過信をして失敗すると「手を抜くと失敗する」ということにまた気付かされる。いくつか作っていると「今ある道具じゃだめだな」と例えばより先端の細いピンセットが欲しくなる。面倒だった、道具選びが発見によって、そうでなくなる。そういったことがパーツを貼り合わせることや色を塗ること、デカールと呼ばれるシールのようなものを貼ることに終始起きる。

クリアパーツを白く曇らせない接着剤は、うまく色を塗るには何を改善すれば良いのか、曲面にデカールをなじませるには……。

 

ここまで書くと「そうやって沼にハマるんだよなぁ。よしよし」なんて自分の管理している、とっておきの湖をまるで沼のように語るものがあるが、これはこれで楽しいと思う。それぞれに気づき、塗らなかった色は塗られ、貼られず捨てられていたデカールは貼られ、余ったものはどこかで使うかもと保存される。そういう間違い探しを楽しむと言うか、リアルさを発見をする目の魚群。

 

ただ、それ以外にもどうやらあるらしい。というのが私は今は面白い。

 

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例えば自分の中でプラモデルは「切り取り、貼り合わせ、塗装、デカール貼り」と要素を分けていて、自分はどれが一番好きかを考えること。そしてそれらの作業量が一定の工数を超えると「楽しい」が「飽きる」そして「失敗する」という流れに向かうこと。

 

「具体的に話すと、これらの4つの要素の中で「塗装」が一番苦手な作業だ。なのでそれが多いプラモデルはあまり好きではない。ただ、それに関して注目していると、これは組み立て順にも問題があることに気づく。「いつまで経っても色ばっかり塗って組み立てられない。形にならない」のが苦手らしい。車を作っていて、説明書の順番を無視してある程度形になったらタイヤをはめ込んで「車」としてしまう人がいたら多分似ている。

 

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塗装は苦手なんだけど、他は好きなんだよな。と思うと成型色がオレンジだったり青だったりするプラモデルを探し出す(この探せるというのは良いことだ)。

これは「色を塗らなくてもいいじゃん」という、問題をなかったことにするという発見だ。ハンバーガーのピクルスを抜く感じだ。

 

ただ、そうやっていてもいつか色を塗りたくなる。これが面白い。

写真のオレンジの車は、突然「デカールを貼ってみても良い」と思った。失敗してもオレンジの車はかっこいいし。大丈夫だって。

何か誘惑に負けるというか、作りたくなってしまうものが現れる。多分、そこをもう少し、売る側は頑張ったほうが良い。

 

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このときの嫌なことは嫌なことではなくなったりする。苦手意識も対象次第で変わる。人の気持ちなんて勝手だし、いくらでも自分の気持ちなんて変わるんだなって思ったりもした。

 

 

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それで俺は塗装はもう大丈夫!なんて調子に乗ると溺れるどころか帰ってこれなくなることがある。やっぱり対象次第で変わるようだ。ここで、最初の「いつまで経っても形にならないんだもん、これ!」という子供のような叫びが頭で響く。ああ、これは面倒だなと(発見する)。

 

出来上がりは悪くないけど満足行かないそれを見てもう一個買う(そう、プラモデルはもう一個買うのが割と容易い。なにせ安いものだけ作っていると本当に安いのだ。だから道具は、その価格に対して高く感じてしまうという)。悔しいから、自分の中でもやもやもやーっとしたものを抱えながら風呂に入る。突然それらが組み合わさって、答えが出る。爆弾にチョコレートをぶっ刺して爆発を止めるように。

 

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俺が、プラモを作っていて楽しいのはこういう、発見が組み合わさって自分の答えが出るところだ。もちろん、そこには本物のようなリアルさは無い。ただ、解決策が見える。アイデアや試みがわかる。それは良いことだと思う。

というか、そこまで考えて考えて考える作業が多分、好きなんだと思う。

「これとこれは、こうなのでは?」

という話。実際のところ、これは部分塗装と呼ばれる技法になるとは思うが、それがこのエレールのシトロエンHバンのパーツ分割の面白さを引き立てているのはとても良いことだと思う。部分塗装はずっとある方法なのに。

 

模型が、模型らしく振る舞っている。

 

「今、プラモデルのシーンてめっちゃ面白くなってるんすよ!」

 

と言えるほどにプラモを作ってないし、上手でもないから自分の話を長々とするしか俺が思っているこの遊びの面白さを伝えることができないんだけど、こうしてなにか新しいものを見つけたように、自分は何か言われていたものと違うものを感じているようだ!と思ったりしたら今はブログでもTwitterでも何でも書けるので、書きましょう。

 

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長い記事、読んでくれてありがとうございます。

文フリ東京は通ったら、こういう長ったらしい模型の本、作ります。

 

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