恐らく眼鏡に関しては僕は「背伸び」をしていると思う。
僕が初めて「良い眼鏡」を買ったは16歳、高校一年生の頃だ。
年賀状配達のアルバイトをしたお金で買った記憶がある。
当時は今よりもオシャレに夢中だったと思う。高校は私服だった。
高校生が5万もする眼鏡を買うなんて言うのはおかしな事だと今は感じる。
その眼鏡に遭ったのはMODE OPTIQUEという雑誌だ。
今よりも幾分尖った内容でそこで切れ味鋭く自身のブランドのデザインなどについて語るパトリック・フートがとてもかっこよかった。
そこにはオシャレでカッコいい眼鏡をかけた大人が数多く掲載されていて、僕はそんな彼らに憧れ、きっかけの一本の後もオシャレでユニークな眼鏡を定期的に買うようにしていた。
話は変わって去年、晩秋にクラシックな丸い眼鏡を買った。
これは初めてすべてを1人でやりとげてお金を稼いだ記念(という言い訳)に買った物なのだけどそれを身に着けるようになってからはほぼ毎日丸眼鏡の日々である。
もちろん旧来の物が度数が合ってないという深刻な問題もそれに拍車をかけたのは間違いは無いが、冒頭に挙げた眼鏡のレンズを変えても着用頻度が逆転をするということはなく「じゃあなんでだろうか…」と理由を考えた時に先の「憧れ」ということを思い出した。
当時憧れていた、カッコいい眼鏡をサラッとかけこなす大人の年齢に自分が達している
事に気づいたのだ。今はどうだろうか。アンティークの指輪を、時計を身につける紳士――。つまり今の僕よりも大人に憧れている。
これは今の自分が盛んに用いる所持品を見れば明らかだ。
おそらくこの後、同じような事が繰り返されるのだろうと思う。
つまり常に誰かに何かに憧れて鼻の上にそれを乗せていくのだ。今は自分より年齢が上の人に憧れているけどいつかは「若い人の真似をしてみたいのぅ!」なんて思う日も来るだろう。
「顔」というもっとも目につく部分に自分の気分の一端が現れる様はとても面白い。