先日、久しぶりにフィギュアペインターの村上圭吾氏の配信を見てみたら、作業風景の手元とグリーンバックで背景を抜いて自分自身も映るスタイルになっていて、そうなることで「彼が何をしているのか、考えているのか」がよくわかるようになったことに驚いた。従来の手元の配信のみの頃よりも「俯瞰で見ている」という感覚が強くなった。その日の配信は完成後のバストモデルを見て「もう少し塗りたいなー」と言いながら少し手を加えたりもしていた。
今日、私は仕事の中でも苦手なチラシ作りを行っていた。本当に作るたびに「下手だな」って思うし「もっと早く作れないのか」と嫌になる。2時間くらいでなんとかならないっすかね本当に。仕事としてデザインをしているので、好きかどうかというとそこまで好きでもない。そしてデザイナーというのは厄介なことに一度デザイナーになるとどこの会社でもデザイナーになりうる可能性を持っている。私はついぞ逃げ切ることができなかった。今も、社内で誰も手が空いていない場合や、空いているメンバーで誰が一番早いのか? というときに私はデザイナーにならざるを得ない。ただ、今日は村上圭吾さんの配信を見ていたせいかいつもと見えかたが違っていた。
相変わらず序盤の1時間くらいで「本当デザインの仕事って俺は無理だわ」「向いていない」「1時間でこれしかできていないのか」と頭の中で最悪のスパイラルに陥る。ラフ通りの配置で間違っていないのに、全体の絵作りができない。これがデザイナーとしての俺の課題だと思う。飾り付けに凝る引き出しがないのだ。なので「飾り付けができないんだよな俺……」と頭を抱える。こんなの少々のインターバルをあけて10年くらい悩んでる気がする。頭の中で悩む私と、村上さんの配信画面がいきなり重なる。
「もう少しなんだよなー」
彼の声がぼんやりと聞こえる中で、メインビジュアルとなる部分はとりあえず放っておいて他の部分のバランスを取っていく。「これはいい」「ここは違う」「これは変えよう」なんていう風に大まかなレイアウトを詰め直していくと、なんだかチラシ作成全体がうまく転がりだした気がした。「このまま、このまま」と頭の中が転がっていく感じをずーっと見守る。こんな風にやっていたら気づいたら全体の完成度が上がってそのままメインビジュアルも思ったよりアッサリ仕上がった。一度印刷して様子を見ると
「やっぱり俺はこういうところがダメなんだよ」
と細部の仕上げの甘さに頭を抱える。ただ、その後に
「あー、村上さんが言っていた”もう少し塗りたいな”ってこういうことか」
と気づいたのだった。その後はフィギュア塗装の要領でスイスイ進んだ……といってもなんのことだかわかりませんね。
この話って要は「ピンチのときにどれだけの選択肢をバラまけるのか?」ということだったと思う。「ダメだ、できない」なんて10年も悩んでいたのは、その段階で視野が驚くほどに狭くなっていることが原因で、そこでいじけてしまわずに「ここから選択肢をばらまいて、選べば良くなる」としきり直せるのか。私が思う「ダメだこれは」という絶望は「もう少し塗りたい」という気持ちと背中あわせだった。
環境のせいもあって若い頃はただただ出来ないことを責められ、荒れに荒れた日々だったけど、前職の脂の乗った頃には賞をもらうこともできた。それでもチラシ一枚で頭を抱えて気分が悪くなる。
ただ、今日からは大丈夫だ。俺はうまく言っていないときに視野がグッと狭くなった後に、もう一度選択肢を広げて形にすることができる。
プラモデルも、楽しみ方の幅が広ければ広いほどずっと楽しいことでしょう。ずっと。
■久しぶりのほしい物リストの掲載です
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