バイクのプラモデルが今まさに完成しようとしている。難しいところは無事クリア。いつも失敗しそうになるところも数をこなしたのでノーミス。カスタムしようと決めていた部分も、とってつけたような加工をした感じには見えない。デカールはわずかなレタッチとメーター周りのものを貼るだけ。
あとはランプ周りとタンクの蓋を貼って、ナンバープレートをつければ終わり。そう、もう終わるのだ。というか、終わっていると言っても過言ではない。実際に飾り棚で完成を待っている様子は、ここから何が変わるのだろうという見た目をしている。もうバイクなのだ。
これをこのまま放置していると、失敗する可能性を無視することができる。「あとは、簡単な作業をやれば完成なんだ」と成功することだけを夢見ることができる。それはプラモデルを作れば作るほどそうなのだと思う。最終的には買わなくても完成した気になるかもしれないが、買っただけで完成した気になるのが俺の限界な気がする。
そして、今の自分がまさに「あと少しで完成だから完成したようなものだろう」と、ぬるい眼差しをバイクに送っている。その隣には立派に組み上がったバイクや、繊細なミニチュアが置いてある。過去の完成品が自分のやってきたことの証明になっている。「過去にできたんだから、これだってできる」そうやって置いておくことは可能だし、気持ち良い部分がある。
そうやって見逃してきた人生のあれやこれや。どうなったのだろう。勉強すれば入れたという学校、出れば活躍できた大会。無かった世界線は姿形を現実には表さず、人生には何の影響も及ばさない。ただ当人の気持ちを淡く、曖昧に満たすだけの存在だ。
俺には完成していない……というか正確にいうと「あと少しで完成するから」と放置しているプラモデルはそういう存在に見える。だから、今日もプラモを仕留めに行く。失敗したって、成功したって可能性をこの手で形にすることに面白さを感じている。それに仕留めることの大切さや、仕留めることに慣れるという楽しさがあると思っている節もある。
何事もなく完成してくれよ、バイク。
今日の物販