Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

わからない期間は、長い目で見ると希少なので大事に取り扱っているという話

 

 

英語で書かれたハードカバーの本にシュリンクがかかっている。「良ければ内容に関して解説しましょうか?」といつも仲良くしてくれる人が、気さくに声をかけてくれる。それでも、反射的に「すみません、家でじっくり読んでみたいです」と言ってしまった。申し訳ない。それだけ未知である状態にワクワクしているということだと思う。今日、仕事終わりに発注していたネクロムンダ関連の諸々お店に届いたのだ。だいぶ遊んでもらって「ミニチュア以外の色々なものを自分で揃えないと」と思っていたので、とても嬉しい。

 

ネクロムンダという遊びが私にとっては初めてのミニチュアゲームだ。なので、わからないことが多い。未だに自分のミニチュアがショットガンを相手に撃つときに何をどう処理すればよいのかを完璧には理解していない。まず打てたかどうか、そして当たったにしてもどのように当たったのか、当たった弾に対して相手は何ができるのか……みたいな感じで一回の攻撃に対して必要なプロセスが結構あって、わからないのはそのせいだと思う。

 

 

しかも、無事攻撃が成功した場合にはどのような結果をもたらすのかも判定する。それらはすべてサイコロとミニチュアが持っているステータスなどを参考にしながら行われる。このステータスの項目もまぁまぁ多くて大変なんだなこれが。

 

難しいゲームであるということは確かだが、じゃあそれを「わからないたびに懇切丁寧に教わるかどうか」を判断するのはゲームよりも難しい。なぜかというと「わからない期間」というのは、非常に限られた期間だからだ。例えば10年間定期的に遊ぶとして、ゲームの流れがわからない期間はせいぜい半年。どうやっても一年はいかない。習得に5年もかかるというわけではなさそう。つまり、わかる期間よりもわからない期間の方が少なく、ある意味では希少なのだ。

 

わからない期間を丁寧に取り扱うというのは難しそうだ。自分でも初めてなのでこれが良いことか悪いことかは今のところ判断がつかない。はたから見れば「教わった方が早くみんなと楽しめるのに!」と思うだろう。というか俺も他人に対してそう思うことはある。ただ、こうして全くの不明であるから、やたら遠くまで届く銃器を持ったミニチュアを見て「これは将棋でいう角だな」といった自分なりの理解が深まる面白さがある。

 

 

自分の中では例え話で理解を終わらせて良いのだけど、ゲームを教えてくれる人や対戦相手と話すときには厳密に言葉を取り扱わないと正しい理解が得られない部分があるのも面白い。例えば「攻撃力」といってもネクロムンダの世界ではS、Str、Dのどれなのかがわからなくなる。自分の頭の中だけで完結する理解と、他者を介して得られる理解だけでも用いる言葉やプロセスが異なるのだ。そんな経験が「希少なわからない期間」の中に詰まっている。

 

朝、駅のエスカレーターに乗っかっているときに「動いた後に撃てないのがなぁ……。ああ、撃った後に動けばいいのか? 今度聞いてみよ!」となるのがめちゃくちゃ楽しいのが今なのだ。

 

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