文学フリマ東京で靴の本を出してもう3年半くらい経つわけだが、相変わらず私は一人である。
実際のところはそれぞれがそれぞれに違ったものを出しているので各々が独立してそうだと思うのだけど、まぁ一人だ。一度、ファッションの批評誌が出たことはあったが、なかなかこういう靴だったり服だったり鞄だったりというものに焦点を当てたものを見つけるのは難しい。
そういうのは媒体問わず、きっと他のところでもっと盛んにやられているのだろうなと思う。
ただまぁ、最初に参加した同人誌即売会がこれで家からも近いし他の大きな即売会も調べる気も無いので(出るとしたらあとはテキレボだろうか)、やっぱり自分のスケジュールを調整して締め切りを作って本を出してという一連の流れはやっぱり「文フリ東京に合わせて」という気持ちになる。
初めての参加のときは幸服無限というフリーペーパーを作っていて、その合間に作っていたものだったがその後に諸事情で休刊となり「まぁ一人でやるならそんなに手間もかからないし、各地へ送ったりもしないで良いし」というわけで参加し続けているんだけど、幸服無限を作っていた頃と基本的には考えていることは変わらなくて
「買った後の話」
とか
「買うまでの話」
みたいなものがまとまった本は需要がないのか権利関係でないのかとにかく探しても見つからない。今日そういえば「寝るまえ5分の外国語:語学書書評集」という本を手に入れたが書評なんかはそれに近いかと思ったが、まぁそういうものが靴に限らず、無いというのが気にはなってた。
だって、買った後のほうがものとの付き合いは長いのに。
幸服無限を始めた5〜6年前に比べると雑誌の特集とかで見かける機会も、その濃度もました気はするがそれにしてもまとまった物や、買って一年とか二年とかのものは少なくて「若い頃に買った」とか「ニューヨークに行ったときに買った」とかそんなものが多い気がする。
「なら、自分で作ってみてどれくらいの人が手に取ってくれるのかを見てみたい」
と思うのはずっと変わらなくて、そういう点からすると殆どの人が革靴に興味がなく、あったとしても私ほどに熱を上げている人は居ないだろうと思われる文学フリマ東京での販売は実は、とても楽しい。
これだけの人が、今日この文学フリマで私のブースの前を通るまでは革靴のことなんて気にもしていなかった、あるいは脳の片隅に追いやっていたはずなのに
「へー、靴」
「ね、靴だってよ」
なんて足を止めて、手にとって買ってくれる。
というと靴があって、それを絵にして、文章も添えて、装釘して、本にして出すという過程がそういう人に興味関心を持たせる何かに変化しているわけで、これが例えばその日に本を買ってくれた人と、会場ではなくて仕事でも遊びでも何処か別の場所で私が
「いやーこのイタリアの靴は貴族の靴と呼ばれていて、それは本当にイタリアの貴族の靴を作っていたからで今は現存していないんだけどどーのこーの」
なんて話をするのと「靴について何か伝えたい!」という思いは同じでも全然違うわけで、本にするまでのフィルターがしっかりと靴の話と、買った後の話を楽しく読んでくれたり、感想を教えてくれたりする。というのが不思議で楽しいということになるわけなんですが。
そんなわけで、毎回毎回数年前に比べると「いやぁ今年は忙しいな」とか「あんまりく使ってないんだよな」なんて思いながらも「それでも、出ると楽しいよな」と思いながら絵を描いて文章を書いてと本にして、大変だったけど面白かったと思う。
そんな私が楽しくて、手に取ってくれるあなたもきっと楽しい、そして毎回「あー今回もいるいる!」「新刊ください!」なんて言ってくれるみなさまは本当に私のその日の活力源。
昨年作ったきれいな茶色のダブルのジャケットできっと5/6(日)、ゴールデンウィーク最終日は文学フリマ東京オ-27にてお待ちしておりますのでぜひともお越しくださいませ。
今年はデカ目のポスターが新たなビックリドッキリメカですのでそれも反応が楽しみです。
それでは、よいゴールデンウィークを。