Re:11colors

毎週水曜更新(2021年9月現在)。革靴、模型、日常。

タミヤのミリタリーミニチュアの兵士と遊ぶ

兵士セットってなんのためにあるのでしょう。

なんのためにって随分な言い方ですけど、戦車だ車両だと作っていると「次は何を作ろうかな」と思うときには中々選択肢に入って来なくて。

 

「兵士セットねー。なんか違うんだよなぁ」

 

なんて思うことがしばしば。ソミュアS35を作ったときに人の造形の素晴らしさに感動しているので、いらないとか嫌いとかそういう気持ちではなかったです。

 

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私はアメリカ軍の車両欲しさに「1/48 ミリタリーミニチュアシリーズ WWII アメリカ歩兵 前線休息セット」を買いましたが、兵士一人ひとりを見ていて「あーよくできているなぁ」とそのもの自体のクオリティに一定の感動をして、そのあとに「これは好きなように組み合わせて遊ぶもの」ということについて考えました。「組み合わせて遊ぶ。好きなように」。うん。

 

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ここには戦車や車両を作るのとは違う何かがあります。なんでしょう。わからないです。例え話をしてもなかなか理解を得られないと思いますがしたいので書きます。

 

HIPHOP的に言うと、戦車、車両などは割と韻が固いイメージ。パチパチ組み合わさって1つの形になる様子は極めてHIPHOP的。最初のライムがベースとして続いていて、最後にズドンと決める感じを覚えます。

 
一方、兵士セットはどちらかというとフロウ重視。どこか創造性もあります。韻はリリックとビートの約束事のように存在しているところがありますが、フロウは自由というか、もっと枠組みが広く曖昧です。

 

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私には兵士セットはそういう「枠組みが広く曖昧なもの」の様に感じられます。確かに車両に人を載せた時に「情景が生まれた!」と感動したことはありますが、じゃあその情景を構成している人や小物たちだけで生まれる情景に自分はそう感じるのかというのが不安であり、自分の苦しいところでした。まるで感情がわからないアンドロイドのような気持ち。ただ、こうして遊んでみるとやはり生まれるのは情景でした。

 

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でも、その情景は誰が何を思って感動するのでしょう。私はこの情景に「ドラム缶風呂に入るか悩んでいる二人」というタイトルをつけましたが、そこには私が風呂が好きだったり、あるいはセットの中の兵士で気に入ったものが比較的穏やかな佇まいだったことに由来すると思います。また、自分でそれを作っているときには彼らが着ているタンカースジャケットに目が行き、昔欲しかったなと思い出して中田商店のオリジナルのものを調べたりしていました。REDWINGのブーツに、ナイジェル・ケーボンのカーゴパンツ、適当なシャツに合わせたら、どれだけ楽しいだろうかと。

 

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そうなんです。ここに来てわかることは非常に当たり前の答えでした。

自分が情景を考えて作るために兵士セットは存在しているということです。

ただ、そこで何を考えるのかがあまりにも自由。「自由にしてていいよ」と言われて何をしたらいいのかわからないくらいの自由さです。もちろん、戦車の乗組員として使うのも良いですし、傍らに添えて何かを演出するのも良いと思います。こんなことを書いていて思い出しましたが以前作った1/48 イギリス クルセーダーMk.III 対空戦車 Mk.IIIはさまざまな兵士が載ることで 「まるで戦争中とは思えない」和んだ雰囲気が生まれていました。

 

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寄藤文平さんの本で水素と酸素は結合すると水になる。それと同じで絵と言葉も組み合わさると絵でも言葉でもない別のなにかになると解説していました。

きっと、この兵士たちにもどこかにそういうところがあるのでしょう。

 

 

絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える

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