父に「書け」と言われて当時野球少年だった私は、試合後の反省ノートみたいなのを書くことになった。今はどうかわからないけど20年前の少年野球というのはピッチャーが2人いれば地域内では敵無しというか、強いチームだったのだけど僕のいたチームは3人。中学生みたいなでかい身体の10番、ひょろっと背が高くこれはこれでピッチャーをやらされそうな3番。そんなに背も高くなく力もないけど左利きなだけの僕、なぜか1番。
今でもたまに顔を覗かせるが、そのときもメンタル弱めで立ち上がりに難があり、イケイケのときは良い感じで後に週刊ベースボールの少年野球の指導者向けのページに「少年期によくある」と書かれていて「は?俺これで中学校3年の夏まで干されたんだけど」と怒りが沸々と湧き上がるナチュラルシュートボールを投げる、クセ球の持ち主。打たれないから直す気もないし、直し方もよく分かってなかった。
試合は土日に開催されるので月に2回くらいマウンドに上がれば良い方。ノックアウト方式なので、負けたら終わり。負けた同士で練習試合もやる。勝っても負けても書いた、かといえば3回くらいで書くのやめたんじゃないかな。面倒だし、そんなに続かなかった。
理由は簡単で試合後に書けば良いのに後回しにすると全く書けなくて「書くことないな」って感じでフェードアウトしてしまったという子供らしいもの。
大人になっても、その日の反省みたいなのはそんな形で書くのを忘れると、そのまま書くことが逃げていくことが多い。前の仕事はバイトで入ったけど、そのときは毎日のことを書いてたらみるみる力が上がっていったのを覚えてる。
プラモデル以外のこともそうだが、一仕事終えた後にしか書けないことというのは今話した通りで結構ある。だから、最初の頃は作った後の感動をすぐ書くようにした。
プラモデルの厄介なところは、作業や実機の話を調べて書くことができること。塗料はタミヤアクリルの何を使っただとか、この戦車はいつの時代のどういったものでどこで活躍したとか、誰かの言葉で書かれたものを摂取して書くということがかなり容易な世界。ピッチャーが指の掛かりや、球の握り方をどうしたとか、腕の位置を下げたとかあのバッターに投げたボールは肘でタメを作ってリリースのタイミングをわざと遅らせたとか、そういう話をするようなことをしなくても書けてしまう。
書いたから何かが身につくのか?というとそれはわからないんだけど、僕なんかはひたすらに組み立てるだけを行なっているのでそういう意味では「よくあのキットの翼と機体の間に隙間が出来ませんでしたね」と言われたり「改めて考えるとめちゃくちゃ跳躍してんなー」なんて言ってもらえたりするので、多分プラモデルを作ることも上手くなると思います。
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