Re:11colors

毎週水曜日更新(2024年6月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

数年ぶりにナイジェルケーボンのカーゴパンツを買った

 

「ある程度自由にお金が使えるタイミングで長く使えそうな定番品を買って、それが今残っている感じですね」と昔読んだ雑誌で誰かが話していた。

 

当時は、お金が自由に使えるタイミングは「人生で一度だけ発生するある一区間」というイメージしかなかった。稼げるようになって結婚する前くらいの頃、みたいな。だけども、この歳になってみると何度かタイミングがあるような気がしてくる。働き始めたばかりで実家にいる頃、若くて生活費を削ってもなんとかなる頃、実家を離れてし生活が安定してくる頃……みたいな年代としての区切りもあるし、もっと細かな「なんかお金使えるタイミング」というのが点在している。

 

誕生日にナイジェルケーボンのカーゴパンツを新たに買い足したのだけど、半ば無理やり購入したようなものだった。何せここのカーゴパンツは耐久性が尋常じゃないので、手持ちのもので間に合っているといえば間に合っているからだ。

 

ただ「ずっと履いている」という重みが嫌になった。太めのパンツは流行っているし、ファストファッションのペラい生地のものとも違う。はっきりいって質が良い。良いものなのに、長い間愛用しているという事実が「これからもずっと履くの?」という変わらなさにつながって、囚われている気持ちになった。そう、いつまでも変わらないという事実と、予見が怖くて、新しく買ったのだ。

 

 

カーゴパンツはデザインが新しくなっていた。シルエットは若干太くなり、生地もサテンになったと店員さんに教えてもらった。履いてみると、腰回りはグッと高い位置に収まるので背筋が伸びる感じで、だらしなくならないのが良いと思った。太くなったというシルエットも、柔らかな生地が重力に従うようにきれいなドレープを作る。買うと決めて店に行ったので、はなから買うことは決まっていたのだけど、良いところがはっきりとわかったので、納得して買えた。

 

定番品や一生モノの良いところであり気をつけないといけないところは、ずっと使えることだ。そして、僕みたいな30代半ばを過ぎた人間は「若いころに定番を買いました、ずっと使えています」と胸を張る。理想的なファッションスタイルにたどり着いた気がしたが、それは無頓着と紙一重だと、私はカーゴパンツを通じて知ることになった。

 

無頓着というのは見た目もそうだし、日々変わり続ける自分という存在そのものを軽視しているということだ。年月が経てば、気づいたらいろいろなことが変わっている、趣味趣向も、私服を着る機会も、変わりたいという感覚も。

 

そのときに「いつでも売っていますよ、それに変わりすぎるのは大変ですよね」と構えていてくれるのは定番品のありがたさだなぁと思う。お金が使えるといっても、品物がなければ意味がない。いつでもあることが必要なんだ。ここまできてようやく変わらないのが嫌だと文句を言いながらも手元に残り続けたという重みは頼りになる。自分にとってのスタンダードであるという証だからだ。

 

新しいカーゴパンツは使い古した迫力とは違う清潔感と今っぽさで、こちらに履け履けとアピールしている。

 

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