作家性とは、この記事では「誰かが作った様子が明らかにわかる」ということを指す。
エブロのルノー4フォルゴネットの箱を開けた瞬間の驚きは、思わず作りたくなるその姿に尽きる。これはボディパーツの一体成型の様であったり、ランナーの梱包の感じとかそういうものからなのか、成型色の薄いグレーがボックスアートとそこまで差がないからなのかはわからないが、作りたい気持ちを巻き起こす不思議な雰囲気があった。
新品の靴を箱を開けて眺めた感じに非常に近い。すぐにでも箱から出したくなる。
開けたその日はもう一度箱にきれいに収めたが、休日に作り始めるとその特異さから冒頭の作家性を感じながら作ることになった。
それはやはりまずはボディパーツの一体成型の姿。それと板のようなシャーシを二枚貼り合わせる感じ。エンジンパーツを細かく組んでいきながら、かなり出来上がったインテリアの運転席側から細長いパーツを突っ込んでエンジンルームと橋渡しをするとき。ドアの内側をウィンドウを含めてクリアにしてしまう思い切りの良さとか、そういうところに「何か」を感じる。どれに関してもピンセットやクリアパーツ向けの接着剤だとか「適切な道具をそのとおりに扱えばなんてことない場面」に遭遇するところに、メッセージを感じる。
これは、非常に不思議で、それぞれを持っていない人には難しいキットになるし、反対にそれを持っていれば組みやすいということになる。プラモデルを適切に組ませる力があるキット、と呼べるかもしれない。
タミヤばりのパーツ構成や、言葉に出来ないノウハウがある割に、そうではない「こういうアイデアも有りなのでは?」という革新を感じたりして、なんだか不思議な気持ちになる。数学のテストの答え合わせで先生が「こういう解き方もあるけど、こういう解き方の方がシンプルで早い」なんて話をしてたことを思い出す。
テスト範囲を網羅していれば答えは出るんだけど、そのもっと前に教わったことだとか、テスト範囲の知識を組み合わせると、その「シンプルで早い式」が出るというあの感じ。
俺は点数は良かったけど、それが出せなかった。他のグループのちょっと悪っぽいやつはよく、そういう答えの出し方をしていて先生に褒められていた。それでそいつに興味が湧いて、仲良くなった。
そういう「ん?ちょっとなんか違うぞ?」という刺激がプラスの方向に走るところと、例えばシャーシにタイヤをはめるのに力が必要だったり(俺はピンをカッターでカットして細くした)、前輪の左右を渡すバーがタミヤのようにパチンとはめる方式ではなかったり(俺はピンを熱したマイナスドライバーで潰して抜けないようにした)違和感として残るところがあるのだけど、それも括弧内に書いたような工作と呼ぶレベルでもない、ある程度プラモを作ることに慣れていたり、古いキットを作ったことがある人なら知っている方法でクリアさせてくるあたりに、作った人のメッセージを感じる。タミヤでできたこと、できなかったこと。今はできること、できないこと。
そう、途中で調べて、これをどういう人が実現させたのかわかったのです。
車内に積むダンボールを思わず作りたくなるほどの魅力。
そして「これを楽しむにはまずは塗装とか後回しだな!」と感じさせるワクワクさ。
車の模型が成立するギリギリのバランスはどこだろうと思いながら後ろのランプだけ塗りましたが、作った人の何かを感じる面白いキットです。
メッキパーツの使い所がアクセントとして機能するあたりはプラモを作る楽しさに目が行き届いている感じでグッと来ます。